国内 2015.09.26

勝つ前に泣けた。ジャパンに感激の東京ガス・小関大介、20年目を奮闘中。

勝つ前に泣けた。ジャパンに感激の東京ガス・小関大介、20年目を奮闘中。
好物は行きつけの店の巨大ハンバーガー。胃袋は若い37歳、小関大介。

 3人の男たちの気持ちが痛いほどわかった。
「信頼されて、最高の気分だったでしょうね」
 ジャパンの南アフリカ撃破(9月19日のワールドカップ)に勇気をもらった。しかし、テレビの画面を見ていて涙が出そうになった瞬間は、試合を決めるトライが生まれる前だった。
「ペナルティーをもらってスクラムを選択した瞬間。そのときのフロントローの気持ちを考えると…。みんなの信頼を得たわけです。最高ですよ。彼らの気持ちを考えると、涙が出てきた」
 汗を拭いながら小関大介(こせき・だいすけ)がそう話す。東京ガスの3番を背負って9月26日のセコム戦に今季初先発。47-6の完勝に貢献した。
 37歳の大ベテラン。この人、なんと今季が20年目のシーズンだ。

 この日のセコム戦は、今季3戦目で巡ってきた初めての先発だった(過去2戦は途中出場)。先発前夜、いつもと違う感覚だった。
「久しぶり(の先発)だったこともあって、少し緊張したんですよ。あらためて、いいスポーツだな、と思いました。この歳になってもそんな気持ちになるんですから」
 なんとなくではやれない。やるなら必死。そして勝ちたい。そうじゃないと戦えないし、つまらないからこそ長くプレーしている。そんな緊張感の中に身を置くことが好きで、いつの間にか20年が経った。
 昨年まではフィットネストレーニングも若い選手たちと同じメニューを消化していた。しかし今季から少し変化が。「コーチに(みんなより)2本少なくていいと言われまして」と笑う。スクラムやコンタクトプレーに関しては年齢を重ねるとともに巧さが高まるも、林雅人ヘッドコーチの掲げるラグビーは「走る」が芯だ。そのスタイルにフィットするのはキツいが、必死にならないとついていけない環境がまた自分を刺激する。

 週3回の平日練習は、大森グラウンド(平和島駅)で19:30から始まる。現在の職場は横浜。ガス工事のための交渉や調整を神奈川県の各役所とするのが仕事で、毎日のようにオフィスの外に出る。チームが貫く「しっかり仕事、ラグビーも全力」の生活は、若い頃こそ辛く感じたが、それが当たり前となり、ラグビーが完全に生活の一部になっているから「まったく苦にならなくなりました」。
「だから、やめる理由がないんですよ。19歳の若手と同じ試合のピッチに立つこともある。体の大きさの違う人たちがいる。それがチームになって戦うラグビーって、(どれだけやっても)おもしろい。南アフリカに勝ったとき、ジャパンの選手が『奇跡ではなく必然』と言っていたけど、あの感覚わかります。やってきたことをやれたときにはの喜び、あれはたまらないですね。でも、やってきたことをやって負けたら(結果を)認めるしかない」
 努力は必ず実るのではなく、やるだけやったら結果は受け入れられる。20年間走り続けて得た答はシンプルだ。

 日大山形高校出身。小学校、中学校とサッカーに熱中したが、体重増加によりラグビーを勧められる。この世界に足を踏み入れてからPRひと筋。それも、ほぼ3番のみを任されてきた。
 関東代表に選ばれNZ遠征に行ったこともある。ジョン・カーワン体制時代のジャパンが実施した、三地域代表の合同合宿に参加したことも。重ねた年輪の分だけ人より多くの経験を積んできたが、まだ手にできていないものがある。チームメートとともに、トップリーグ昇格の夢を果たしたいのだ。
「やるからにはいつでも勝ちたいと思っているし、そこ(トップリーグを)を目指したい」
 ギョウザ耳をさすりながらそう話す小関は、「1年、1年が勝負と思ってやっています」と言った。
 ガチガチに固まった耳。ひとつ上のステージを目指す意思も固い。

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