【コラム】ブレイブ・ブロッサムズの生まれた街。

それは5年前の風景を思い出させた。
7月10日の小倉駅周辺は、朝からウエールズとジャパンのジャージーをまとったファンでにぎわっていた。
通り過ぎる一般の人たちも「今日はラグビーの試合なんだね」と、ことさら驚いてもいないのが、さすがラグビーどころ。
それも日本人がウエールズジャージーだったり、外国人がジャパンのそれを着たり。ミクニワールドスタジアムで開催された日本代表対ウエールズ戦に集ったファンたちだ。
試合後、繁華街にある角打ちの店も、繰り出したファンたちで満員御礼。
世界中がコロナ禍に見舞われる前だった2019年、初めてラグビーワールドカップが開催されたこの国で見られた幸せな光景の再現だった。
ウエールズと小倉の縁は、ウエールズがW杯前のキャンプ地に同地を選んだことがきっかけだ。
その後も交流は続き、今回のテストマッチの開催地に選ばれた。
スタジアムの収容人員は約1万5千人。ティア1との対戦であれば、数万人のスタジアムが会場でもおかしくない。
入場料収入は億単位で違うだろう。それでもW杯のレガシーを重んじた両国協会の英断に拍手だ。
W杯は1991年の第2回大会から取材してきたが、レガシーを感じる機会は、提唱されている割に、それほどなかった。
開催国の地域が特定のチームを応援するようになったのは2003年、オーストラリアで開催された第5回大会からだ。
日本代表はNSW州の街タウンズビルを拠点に、予選リーグ4試合のうち3試合を同地のデイリーファーマーズスタジアムで戦った。
そこで日本代表はスコットランド、フィジー、フランスと対戦。勝利こそ挙げられなかったが、強豪相手に健闘した。
タウンズビルは小さくのどかな街。人々は気さくで、大会につきものの移動の大変さもなかった。
のちの出場していた選手が「まるで竜宮城みたいな時間だった」と振り返ったことを憶えている。
その後は、大会全体のセキュリティが厳しくなっていった。
練習グラウンドは高い幕で覆われ、猫の子一匹入れないようになった。地元の人たちが選手の姿を目にする機会も減った。
2015年大会、イングランドのウォーリックで合宿を張った日本代表も、交流したのはチームが練習で使用していた学校の生徒たちだった。
W杯が巨大化していく一方、素朴なふれあいは減っていたから、ミクニでテストマッチが行われた価値をより感じる。
今回も小倉の繁華街は至るところ、歓迎ムード一色だった。
ウエールズ(カーディフ)と小倉の街には共通点も多い。
どちらも製鉄で栄えた歴史を誇り、街の中央に城(カーディフ城と小倉城)がそびえる。
ウエールズのプリンシパリティ・スタジアムは、カーディフ中央駅から徒歩数分。
脇を流れるタフ川は、カーディフ湾にそそぐ。
ミクニワールドスタジアムも小倉駅から徒歩圏内にあり、海を臨むロケーション。
そんな共通点が、両者の結びつきの強さに繋がったのかもしれない。
そういえば、おなじみとなったジャパンの愛称「ブレイブ・ブロッサムズ」。
その名前が生まれたのも2003年大会、タウンズビルでの試合で強豪相手に食い下がったからだ。
それも、W杯のレガシーの一つなのかもしれない。