コラム 2025.06.04

【コラム】或るフットボーラーの告白。

[ 直江光信 ]
【コラム】或るフットボーラーの告白。
入替戦第2戦後、高校生の頃からコンビを組んできた盟友のSHウィル・ゲニアとともに。「塩と胡椒、ナイフとフォークのように、いつも一緒にラグビー人生を駆け上がってきました。二人とも負けず嫌いで、お互いに成長できるようプッシュしてきた。これが最後になるのは悲しいし、寂しいけれど、一緒にたくさんの思い出を作れたことを幸せに思います」と語った(撮影:宮原和也)

 巷で語られるイメージと実際の姿に、これほどギャップのある選手も珍しいだろう。

 クウェイド・クーパー。天才的なひらめきと、これまた天才的なスキルでゲームを司る唯一無二のプレーメイカーである。

 ラグビー選手としての足跡は華やかだ。2年連続で高校オーストラリア代表に選ばれ、18歳でスーパーラグビーにデビュー。まもなくワラビーズのゴールドのジャージーにも袖を通した。2011年にはレッズでスーパーラグビー優勝の栄誉も手にしている。

 一方、フィールド内外での奔放な振る舞いや歯に衣着せぬ発言から、悪い形で注目を浴びることも少なくなかった。ついたあだ名は”悪童”。2012年にはロビー・ディーンズHC(当時)率いるワラビーズの戦い方を「退屈」と痛烈に批判し、オーストラリア協会から300万円以上の罰金を科されたこともある。

 見聞きする情報の印象をストレートに表現すれば「やんちゃ」。しかし実際に対面して話を聞くと、そのイメージは一変する。

 語り口はどこまでも穏やかで、発する言葉の一語一語に哲学的な含蓄がにじむ。柔和な表情から向けられるまっすぐな視線は、「吸い込まれそうな」という表現がぴったりだ。

 今年3月末には、自身のSNSで「グッバイ、大阪」と所属する花園近鉄ライナーズからの退団をほのめかす投稿をしたことが物議を醸した。

 リーグワンには、プレーヤーが次の道を選択する上で十分な時間的猶予を確保するために、契約を継続しない選手にはシーズン終了の2か月前に通知しなければならない規約がある。おそらくは報せを受けたクーパーが率直な心境を綴ったのだと想像されるが、チームから正式に発表される前のタイミングだっただけに、世間はざわついた。

 のちにクーパー本人は投稿の理由についてこう明かしている。

「この時期になると毎日のようにいろいろな人から『来年はどうするの?』と聞かれる。そうした声に煩わされるのが嫌だったから、まずは大阪を離れるということを伝えておきたかった」

 当時のライナーズの順位は3位。ディビジョン1との入替戦に進めるトップ2入りに向けギリギリの戦いが続くチームにあって、プレーはもちろん精神面でも大きな存在である主軸選手のイレギュラーな形での退団発表は、他のメンバーに動揺をもたらす可能性があった。

 しかしチームメイトのFL菅原貴人によれば、その週のクーパーの態度と姿勢は際立っていたという。

「自分はもういなくなるからどうでもいいといった素振りは一切なく、むしろ今まで以上にストイックにトレーニングに打ち込んでいました。その姿を見て、絶対にいい形でクウェィドを送り出したいという気持ちになりましたし、チームがグッとまとまった感覚がありました」

 以降、そこまで焦点のぼやけた戦いが続いていたライナーズは急速に一体感を高め、勢いに乗る。終盤戦で上位にいたNECグリーンロケッツ東葛、豊田自動織機シャトルズ愛知から快勝を収め、2位に滑り込んで入替戦への出場権をつかみ取った。

 迎えた三重ホンダヒートとの決戦は、2試合とも壮絶な死闘となった。

 地元花園での第1戦は3点リードしていた後半の最終盤にトライを奪われ、痛恨の逆転負け。続く鈴鹿での第2戦も先行して前半を折り返しながら、勝負どころで流れをつかみきれず19-29で力尽きた。最大のターゲットだった1年でのディビジョン1復帰は、かなわなかった。

 今シーズンの最終戦を終えた後、80分間フル出場したクーパーが取材エリアで心境を語ってくれた。

「とてもタフなシーズンでした。特に序盤戦は苦しかった。でもそこからよく盛り返して、あと一歩でディビジョン1に戻れるというところまでこられたのはよかったと思います。わずかな差で昇格は果たせなかったけれど、我々はすべての力を出し尽くしました」

 今後のことについては、まだ何も決まっていない。あるいはこの試合が、ラグビープレーヤーとしてのラストマッチになるかもしれないという。

「体はまったく平気です。前回の試合で鼻を骨折しましたが。本当に危険でクレイジーなスポーツを、ずっとやってきました。五体満足で終われてよかったと思います。このまま引退するかもしれませんが、人生はどう進んでいくかわかりません。今いえるのは、ラグビーというスポーツに関わることができてよかった、ということです」

 長いシーズン、もしかしたら長い競技者人生を走り抜いた充足感が、胸を満たしていたのかもしれない。思いが詩のように言葉となってあふれた。

「いつも話すのですが、ラグビーが美しいのは、しんどいことをやるというところです。それは、試合に勝ったから気持ちいいというものではありません。苦しい戦いの中で自分が力を出しきったという達成感。今日の試合でも、体が痛くてもう立ち上がれないかもしれないと思う瞬間がありました。でもそこで立ち上がって、次のプレーへ動き出す。それは自分自身にとってのひとつの勝利であり、達成なのです」

「普通に生きていては、そんな経験はなかなかできないでしょう。そこまで自分を追い込むのは大変だし、毎日を平穏に過ごすのもいいと思います。でも私は違う。私はラグビーを愛しています。だからこそ、こうした人生を生きてきました」

 ほれぼれするようなアティチュードに、しばし言葉を失う。見事なフットボーラーが、ラグビーの価値を日本で存分に体現してくれた。そのことに、ただただ頭が下がる思いだった。

【筆者プロフィール】直江光信( なおえ・みつのぶ )
1975年生まれ、熊本県出身。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。早大時代はGWラグビークラブ所属。現役時代のポジションはCTB。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。ラグビーを中心にフリーランスの記者として長く活動し、2024年2月からラグビーマガジンの編集長

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