【ラグリパWest】辺境の守護者たち、関西遠征。福島県立勿来工業高校ラグビー部

勿来。「なこそ」と読む。
街は福島県にある。浜通りと呼ばれる太平洋沿い。東北地方の南東のはしにあたる。
ここには古来より、異邦人の南下を防ぐ、<勿来の関>があったとされる。詳しいことはわかっていない。ただ、平安時代ごろから和歌に詠まれたりはしている。
勿来工のラグビー部員たちが着ているTシャツには、<Border Defenders For NAKOSO>=辺境の守護者、とプリントされている。歴史から引かれていることがわかる。
この福島の県立高校が大阪に遠征した。3月15、16日に開催された通称<花園DRR大会>に2年連続で参加するためである。部員は22人(新3年=15、新2年=7)だ。
この大会の正式名称は<2025 DR⇒R HANAZONO>。西村康平は説明する。
「Dream(夢)がReal(現実)になるように、という思いがこめられています」
高校生の聖地である花園ラグビー場での試合経験によって、この地である冬の全国大会の出場を現実化させたい。西村は世話人のひとりで、布施工科の監督でもある。
この花園DRR大会の魅力はメインの第一グラウンドを使えることだ。保有する東大阪市はグラウンドを無償で提供して、参加16チームに協力する。大会が始まったのは30年ほど前だが、昨年この名になった。
勿来工の冬の全国大会出場は6回。最高位は2回戦進出である。県内では18回の磐城(いわき)、14回の平工に次ぎ3番目に多い。直近の出場は102回大会(2022年度)。四半世紀ぶりだった。この時は1回戦で目黒学院に0-83で敗れている。
監督は3年前の出場時と同じ小松傑(たけし)だ。大阪遠征の理由を語る。
「強くなる、ということですね。関西にはうまいチームがいくらでもあります」
小松は不惑。国語科の教員でもある。磐城入学後にラグビーを始め、國學院大ではクラブチームでプレーした。バックローだった。競技指導は母校などでも積んでいる。
勿来工は15日、第二グラウンドで花園(京都)を17-10、翌16日は第一グラウンドで合同チーム(大阪の日新と上宮)を72-19 で降した。連勝とする。
勿来工のSO主将は新3年の高橋凛だ。花園ラグビー場での2試合を振り返る。
「勝ててうれしかったです。目標は全国大会出場なので、その経験ができてよかったです。ワクワクしました」
勿来工は22人全員が出場できた。
この花園DRR大会の参加は小松と西村が旧知の間柄ということもあってすすめられた。数年前の夏合宿を通して知り合い、同じ公立の工業校ということもあり、意気投合する。
ただ、勿来工にとっては潤沢な予算の元での遠征ではない。学校から関西までの往復は借りたマイクロバスを使った。常磐道などを通り、10時間をかけて前日入り。宿泊は天理。天理教の詰所(信者用の宿舎)だった。
小松は予算について話す。
「個人負担は1人15000円です。残りは前回の全国大会出場時の余剰金や後援会などからの援助でまかなっています」
個人負担が多くないのには訳がある。
「経済的に苦しい子もいます」
ラグビー部ではアルバイトを許可している。
小松は続ける。
「きついですね。2011年以来」
東日本大震災の影響は今も残る。勿来を北に上がれば<原発銀座>があった。
「ウチも3年間、活動できませんでした」
大震災から2年後、顧問もいなくなり、部員も0になった。小松の赴任前だった。そんなことがあってもラグビーを投げ出さない。
「高校時代にラグビーをやって、いい進路を決めて、しっかりした人生を送ってほしい。ひとつに打ち込んだ仲間との付き合いが続いてゆくのは楽しいことですから」
小松自身ができるすべては、ラグビーでよりよき人生に導くことである。
「小松先生が誘ってくれなかったら、ラグビーをやっていなかったと思います」
主将の高橋はバスケットボール出身だ。進路は就職を中心に考えている。
小松はその進路について解説する。
「卒業生の7、8割は就職ですね」
地元の製造業などが中心になる。勿来工の創立は1961年(昭和36)。現在は機械、電気、建築、工業化学の4科制をとる。
4月に入れば、小松は多忙になる。高橋が経験した新入生の勧誘だ。
「地元には勿来少年ラグビースクールがありますが、予定している経験者はいません」
特色選抜という推薦制度があり、競技歴があればラグビーで受験することは可能だが、現状では追い風になってはいない。
小松の勧誘方法はSNSや授業後の声かけ、さらには体育の教員から情報を得て、他競技をやめた生徒を引っ張ってくる。
「前回、全国大会に出た時には15人中4、5人は途中入部でした」
ラグビーは高校から始める生徒も多く、運動が好きならば、ハンディにはならない。
新チームは1月にあった県新人戦で3位だった。4強戦は松韻学園福島に7-8。3位決定戦は合同C(日大東北と福島)に40-5だった。優勝は聖光学院。昨年度の冬の全国大会に出場した。雪辱のためにも、新入生を多く集め、「数は力」を現実としたい。
勿来工の創部は学校創立と同じ1961年。OBのひとりはお笑いコンビ「アルコ&ピース」の平子祐希。そのジャージーは濃緑に細いオレンジのストライプが入る。
「ジャージーは変えません。伝統を変えるのは嫌いです。OBの皆さんと復活させたい」
小松は歴史に敬意を表する。そこに新しい血を交ぜて、未来につないでゆきたい。
チームを守ること。それは関守の末裔たちにとって、またとない役目とも言えよう。