チャレンジの季節 直江光信(スポーツライター)
高校生の春の大会が全国各地で盛況だ。この時季になると、薄くモヤがかかったような自分の高校時代の記憶を時々、思い出す。
春の都道府県大会やブロック大会は、秋の決戦へ向けた重要なステップであると同時に、高校ラグビーのひとつのクライマックスでもある。受験勉強のために春の大会で部を引退する選手にとっては、敗れればそれがすなわち高校生活最後の試合だ。地方公立高校の我がチームも、部活動は春までで夏以降は勉強に集中するというのが大方の流れだった。しかし筆者の在校中は最後まで続ける部員が多く、同期にいたっては16人全員が部に残った。「浪人覚悟でラグビーにかけた」といえば聞こえはいいけれど、実際は現実逃避に近かったような気もする。それでも、それぞれに悩みや逡巡はあっただろうし、個性豊かな仲間たちとそんな経験をともにできたことは、誇れるものの少ない自分にとってかけがえのない財産となっている。
春で引退するか、最後まで続けるかの是非について、ここで論じるつもりはない。引退したからといって志望校に合格する保証はないし、秋まで続けても必ず満足できる結果が得られるとは限らない。それこそ自分の考えた通りに決めるべきだ。でも、もしさしたる意志も熟慮もなく、「ラグビーをすると勉強ができないから」と決めつけて挑戦を避けるのなら、「ちょっと待って」といいたくなる。
時間は万人に平等だ。1日24時間の中でやれることには限りがある。でも、ラグビーをしなくなったらそのぶんだけ学業成績が上がるかといえば、そう簡単な話ではない。適度な運動(かどうかは別として)は脳を活性化させるし、勉強で煮詰まったストレスを発散させる。時間が制限されるからこそ緊張感や集中力が高まり、学習効率が上がるということだってあるだろう。
個人的に危ういと感じるのは、「チャレンジする」という選択から安易に逃げてしまうことだ。リスクを嫌って安全なほうばかり選んでいたら、可能性は狭まりそれだけ成長もとどまる。実際、「勉強のために」といって部活動をやめたのに、その後成績は停滞し、最終的に合格圏内だった学校にも通らなかった−−という例をいくつも知っている。
昨今は万事に失敗を悪ととらえ、極端にリスクを遠ざける風潮が顕著だ。もちろん当事者にとっては一大事だし、様々な事情もあるだろう。軽々しく「多少の遠回りくらいどうってことないさ」とはいえない。でも、そこでつまずいたら本当にキャリアがついえてしまうのだろうか。人生の重大な岐路だからこそ、余計に「チャレンジしてもいいのでは」と思ってしまう。
現在のジャパン、筑波大学4年生の福岡堅樹は、大学進学に際し当初は医学部一本の志望だった。福岡高校3年時に花園出場を果たし、その後1年間は浪人生活を送る。受験2年目、センター試験のスコアは、予備校の先生によれば「筑波以外の国立大医学部なら十分合格できるレベル」。2浪覚悟で本命の筑波医学部を受けるか、他大学の医学部か、それともまた別の道を探すか…「すごく、考えました」(本人)。最終的には「ラグビーはいましかできないし、競技引退後に医学部に行き直すことだってできる。まずはとことんラグビーをやってみよう」と決断、こちらも難関の筑波大学情報学群に合格して晴れてラグビー部の一員となった。その後の活躍はご覧の通りだ。
日本代表のフィニッシャーにまで上り詰めるのだから、そもそもの資質がずば抜けていたのは確かだろう。相当な努力も重ねたはずだ。でも、王道とは遠いひねくれ者のスポーツライターとしては、どうしても「リスク承知でチャレンジし、悩み抜いて決断したことの意味」を想像せずにはいられない。並外れた才能は、1年間の回り道によって熟成され、深みを増した。少なくとも、その程度のブランクで選手としての可能性がちっとも損なわれなかったのは明らかだ。
のちに本人は語っている。
「浪人した1年間はすごく大きかったです。ケガをしっかり治せたし、ラグビーができなかったぶん、またやりたいという強いモチベーションにもなった。いま振り返って、自分に必要な時間だったと思います」
筆者の高校の1学年上にも、受験勉強のためひと足先に春で部を引退した先輩がいた。医学部志望だったその人は、高校3年時のセンター試験で高得点を挙げながら、「最後までラグビーを続けた仲間がいるのに途中で引退した自分が妥協することはできない」と、合格ラインにあった次善の大学ではなくあくまで第一志望の難関大学に挑戦、1年間の浪人生活を経て見事に入学を果たした。困難に際し心折れてばかりの我が人生で、いつも「かくありたい」と思うお手本である。
【筆者プロフィール】
直江光信(なおえ・みつのぶ)
スポーツライター。1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。