ちっちゃい頃からの夢、叶う。濱野隼大[コベルコ神戸スティーラーズ/CTB・WTB]
「嬉しいです。ちっちゃい頃からの夢だったので」
コベルコ神戸スティーラーズの濱野隼大が日本代表デビューを飾った。
9月21日。パシフィックネーションズカップ決勝でフィジー代表と対戦した後半12分、背番号23に出番は訪れた。
「思ったよりはやく出られました。試合前は結構緊張してましたが、1回タックルをしたらほぐれました」
10-10と前半のスコアのまま推移した後半の立ち上がり。しかし、濱野が投入されて以降の日本代表は苦戦する。フィジー代表の猛攻を止められず、幾度もトライを献上した(17-41で敗戦)。
試合後、報道陣と相対して苦い表情を浮かべたのはそのためだろう。
「ディフェンスの時間が多くなって、相手に好きなようにさせてしまった…そこは課題です。自分の強みであるランを出すために、もっとボールタッチを増やせたらよかったなと思いました。(次は)もっとワークレート増やして、自分からボールをもらいいきます」
23歳での初キャップだ。それまでの道のりは、他と一線を画す。
ニュージーランドへと渡ったのは中学2年時。国内随一の強豪校であるロトルアボーイズ高に当初は短期留学の予定も、その才能に見惚れた当時のヘッドコーチから期間の延長を要請されたこともあり、約4年間、ラグビーの本場で研鑽を積んだ。
神戸製鋼入りを決めたのは2020年。まだ19歳だった。日本の大学を経ずして、プロ選手となった。
その前年には大学1、2年生を中心に構成されたジュニア・ジャパンに高校3年生の代で唯一選ばれるなど、確かな実力を示していた。
しかし、神戸では本職のCTBに海外出身の傑物たちが立ちはだかった。
元NZ代表のベン・スミス、元日本代表のラファエレ ティモシー、2018年度のトップリーグ制覇に貢献したリチャード・バックマン、さらに2022年度からは元NZ代表のナニ・ラウマペ、ダイナボアーズのエースだったマイケル・リトルが加わる。
2季前はケガで長期離脱したラウマペの代役を務め、第7節でリーグワンデビューを飾ると以降は13番でほぼ全試合に出場できた。それでも、安泰ではなかった。
昨季入閣したデイブ・レニーHCから、「WTBもカバーして2つのポジションができるように準備してほしい」と指令が出る。
「CTBの方が好きなので、練習ではガツガツとボールをもらいにいっています。でも、どのポジションでも自分の100%を出すことには変わりません」
WTBにもすぐに適応した。12番に日本代表の李承信が入り、ラウマペとリトルが13番を争う中でも、自身の出場機会を確保できたのだ。
シーズン途中は足首の捻挫で離脱することもあったが、9試合に出場、5試合にWTBで先発。たびたびエッジで快足を飛ばし、6トライを記録した。
急造のWTBには見えないパフォーマンスに目を引いたが、本人は「周りの選手が良いパスを出してくれた。僕はもらうだけでした」と謙遜した。
しかし、レニーHCとともに加わったフィル・ヒーリー ヘッドアスレティックパフォーマンスコーチの指導もあって、武器のスピードに磨きがかかっていたのは事実だった。
「シーズンを通してずっとスピードを意識してきて、週に2、3回はそういう練習を入れてきました。MAXスピードの数値も上がりましたし、体感としても去年より速くなっていると感じています」
その活躍はエディー・ジョーンズ日本代表HCの目にも留まり、シーズン後にはリーグワンのプレーオフ、入替戦に進まないチームから選抜された菅平合宿に参加する。それが今回の初招集に繋がった。
アメリカ戦を控えた週に追加招集される1か月前までは、アメリカのメジャーリーグラグビーに加盟するオールドグローリーDCに加わり、トレーニングに参加していた。エージェントを介してチームを探し、単身で渡米していたのだ。
「4年間ずっと神戸にいたので。違うところで体格の大きな選手とラグビーができたらいいなと」
ラグビーは発展途上の国ではあるが、「フィジカルやコンタクトは日本よりもアメリカの選手の方が強い」。普段とは異なる違う刺激を身体に染み込ませた。
それも、夢に見た桜のジャージーを着るためだった。
留学を決めた中学2年時は2015年。W杯で日本代表が南アフリカ代表を破る衝撃的な光景は、日本国民はもちろん、濱野少年の琴線にも触れた。
「カッコよかったです。その時から日本代表にずっと入りたいと思っていました」
夢は叶えた。そして、次なる目標を口にする。
「ニュージーランドにいた時はずっとオールブラックスに憧れていました。戦えたら…嬉しいです」
10月26日、日本代表は日産スタジアムでニュージーランド代表を迎える。