コラム 2024.01.24

【ラグリパWest】継続は力。鈴木徳一[仙台高等専門学校・名取キャンパス/ラグビー部ヘッドコーチ]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】継続は力。鈴木徳一[仙台高等専門学校・名取キャンパス/ラグビー部ヘッドコーチ]
仙台高等専門学校・名取キャンパスの鈴木徳一ヘッドコーチ。この高専以外にも、別に高校3チームを全国大会に出場させ、東京サントリーサンゴリアスではスクール・アカデミー担当でもある。その能力は高い。1月9日、高専全国大会の決勝戦前、ロッカールームの前にて


 柴田尚都は5年制の仙台高等専門学校の体育系の教授である。この高専の名取キャンパスにおけるラグビー部監督でもある。

 柴田は教育者らしい。
「ノリカズは今回の高校の全国大会に3つのチームを出場させました」
 鈴木徳一を先に出す。職掌的には自分の下にくるヘッドコーチ。年的にも鈴木はひと回り以上下の45歳である。

 鈴木は並行して教えている川越東、北越、福井合同(若狭東と敦賀工)をこの年末年始の103回大会に出場させた。

 柴田はそこに力を込める。「我がチーム」が一番ではない。仙台高専・名取キャンパスは年明け、神戸であった54回目の全国大会で準優勝した。

 鈴木は昨年4月から、リーグワン一部の東京サントリーサンゴリアスのスクール・アカデミー担当にもなった。トップ選手を夢見る小中学生の成長にも力を注いでいる。

 プロコーチとしての面目躍如だが、自身がそのこと誇る風はない。
「まずはやりたいラグビーをそのチームのキャプテンや監督と話し合います」
 鈴木には理想とするラグビーがある。
<ブレイクダウンで負けない。そして、ボールを動かす>
 それを押しつけない。顧客第一である。

 鈴木は日焼けした鼻筋が通り、笑みをたたえている。男前である。住まいは東京都内。要請があれば、どこにでも出向く。指導の長さでは仙台高専・名取キャンパスが最長である。年が明けて、14年目に入った。

「軸は仙台ですね。でも指導に行けるのは月に1、2回くらい。今、サンゴリアスのアカデミーが週2回あります」

 鈴木がラグビーを始めたのは高校入学後だった。日大山形である。
「それまでやった野球は100人くらい部員がいました」
 埋没をよしとせず。楕円球にのめり込んだ。
「誰でも活躍できます」
 平等さに惹かれた。体つきに関係なく、どの部員も試合に出られる。

 大学は東北福祉に進む。隣県の宮城にある。現役時代のポジションはFL。サイズは168センチ、80キロほどだった。

 卒業後はニュージーランドに渡る。コーチになりたい希望があった。その知識を得るためである。2001年から2年を首都のウエリントンで過ごした。当時はスーパー12だったハリケーンズの本拠地である。

 学びは「New Zealand institute of Sports」で深める。この学校には竹内克(かつ)がいた。竹内は逆輸入コーチの典型的存在で、今はリーグワン一部のリコーブラックラムズ東京でアシスタントコーチを務めている。

 その竹内をメンター(恩人)として挙げる。
「カツさんはコミュニケーションの取り方が上手です。状況を見て、選手のことを考えて、言葉を選びます」
 個を大切にする南半球の島国で、今の対人を中心に据える指導法の基礎ができ上る。

 帰国後、2003年から母校、東北福祉のコーチにつく、2年後、駿河台大の監督に就任した。6年を過ごした。そして、仙台高専・名取キャンパスに招かれた。

 柴田は鈴木を知っていた。
「試合をしたりしていましたからね」
 柴田の出身大学は仙台。東北福祉と同じ宮城にある。筑波の聴講生を経て、この大学で体育学の修士号もとった。

 鈴木が関わった全国高専大会は2012年の42回大会から。ここから13大会で優勝は大会最長の4連覇を含む5回、準優勝は5回と結果を出し続けてきた。

 仙台高専・名取キャンパスは高専界の名門である。全国大会の優勝15回は最多。その創部は1968年(昭和43)。宮城工専時代にさかのぼる。2009年には仙台電波と統合され、再編成された。仙台電波は広瀬キャンパスとなる。ここにもラグビー部がある。名取の専門は工学(機械)や建築系、広瀬のそれは情報や電子系である。

 仙台高専・名取キャンパスは年明け、54回目の全国大会で決勝に進出する。奈良に3-45(前半3-19)で敗れた。入学までのラグビー経験者数は奈良の14に対して、わずか1。その状況を踏まえて柴田は話す。

「ここまで来れたのは彼のおかげです。今回は5年生10人が卒業で抜けた。どうしようかと頭を抱えましたが、彼はうまくやってくれました。初心者はフィジカルの練習をすると痛いから、すぐにやめてしまうんです」

 鈴木はこともなげに言う。
「彼らにはDNAがありますから」
 半世紀以上の歴史をくぐり抜けた伝統がその理由だと言う。自分の手柄とはしない。

 鈴木のコーチングは、普段はタッチフットなどを混ぜ込み、楽しさを出すが、ここぞ、という時に格闘技的な部分を注入する。
「柔道場で当たりっぱなしでした」
 昨年7月、3日間ほどの校内合宿では徹底してコンタクト練習をやった。そのタイミングは20年を超える経験から来ている。

 鈴木がラグビーのよさを問われ、<誰でも活躍できる>と同時に挙げたことがある。
「初心者でも頑張れば勝てる」
 それは仙台高専・名取キャンパスの戦う姿から得たものだろう。

 その言葉は自分の生きざまにも重なる。「ラグビー不毛の地」と呼ばれる山形で競技を始め、ラグビーでは名が通っていない大学に進んだ。その履歴に関係なく、努力を積み重ね、チームを勝たせられるようになった。

 今、東北福祉にはクラブがなくなり、日大山形はホームページに「募集停止」の文言が載る。鈴木は母なる2チームの語り部としても、コーチングを続け、選手たちを勝利に導いてゆく意義がある。

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