コラム 2023.12.26

【ラグリパWest】伝統を継ぐ。白木繁之 [常翔学園ラグビー部/新監督]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】伝統を継ぐ。白木繁之 [常翔学園ラグビー部/新監督]
常翔学園ラグビー部のヘッドコーチから監督に昇格した白木繁之さん。保健・体育の教員でもある。白木さんは同校のOBで大阪体育大出身。現役時代はCTBだった。後方はラグビー部が日々の練習で使うグラウンド。大阪の母なる川、淀川の河川敷にある



 白木繁之には感化する力がある。

 ラグビーのみならず、指導者にとっては大切な資質である。

 白木が自身の母校でもある常翔学園で、高校3年間の成長に関わった中に、岩本晃伸(こうしん)がいる。このFLは大阪体育大に進んだ理由を語ってくれたことがある。

「僕は白木先生を尊敬しています。先生のような人になりたいと思いました。それで、先生と同じこの大学を選びました」

 岩本は昨年、4年生になって主将を任された。リーダーの資質を持つ教え子から敬愛される。白木はその常翔学園のラグビー部でヘッドコーチから監督に昇格した。

 常翔学園は、先月11月12日、103回全国大会の大阪府予選決勝で東海大仰星に17−27で敗れた。本大会の連続出場記録は8で途切れた。
「あとは任せた」
 野上友一に試合後に言われる。チームを統括する元監督は同時に白木の恩師でもある。

 常翔学園は高校ラグビーの雄である。冬の全国大会出場は41回。優勝5回は歴代5位タイの記録である。

「こんな伝統のあるチームで監督をさせてもらい、うれしい気持ちはあります。でも、それ以上に重責を担うことになります。そのプレッシャーをバネにしながらやってゆけたら、と考えています」

 日焼けしたえびす顔が引き締まる。白木は35歳。生徒の時代は2004年からの3年間だった。当時の校名は大阪工大高。全国大会は84〜86回にあたる。すべて4強で敗れた。白木はCTBとして2年生から公式戦に出場。85回は桐蔭学園に10−12、86回は東福岡に10−53だった。

「3年間すべて4強って、野上先生はめちゃめちゃすごいです。指導者になって特に思います。全国のベスト4に行くことがどれだけ難しいかを今、痛感しています」

 監督時代の野上が白木ら選手に強いたことは、「基本の徹底」だった。
「練習の基本は、走る、押す、当たる、でした。しんどかったですね」
 ボールをつなぎ100メートルを走り切るランパスや正方形の四隅にあるバッグへぶつかり、押し込むことをやった。

「今はYouTubeなんかで、うまいプレーはなんぼでも見られます。でも、基礎ができていなかったら、そんなプレーはできません」

 その厳しい鍛錬が3年連続4強につながる。白木の同期は杉本博昭。杉本三兄弟の末弟はS東京ベイでHOとして現役を続けている。

 大阪体育大に進んだ理由がある。
「体育の教師になりたかったのです」
 白木は3年からメンバーに定着する。175センチ、85キロの体は強さがあった。

 関西リーグの順位は1年次から順に3、6、7、4。白木の4年時、チームは大学選手権に出場する。47回大会(2010年度)は1回戦敗退。早稲田に7−94。この試合、白木は足を痛めて欠場している。

 大阪体育大では同じくラグビー教員を目指した同級生との出会いが残る。
「指導者になってうれしいのは、同期たちと再会できることです」
 CTBのコンビを組んだ伊達圭太、SOの山本健太、FLだった田仲祐矢の名前が挙がる。伊達は城東(徳島)、田仲は名護の監督、山本は大阪桐蔭の部長である。3人とも今回の全国大会に出る。来年は負けられない。

 白木は卒業後、大阪市の中学校教員として5年働いた。菫(すみれ)に4年、緑に1年。そして、野上に「里帰り」を打診される。
「誘っていただいたのは光栄でしたし、恩返ししたい思いも強かったのです」
 2016年から常翔学園で指導を始めた。

 ラグビーは人生の軸になるが、競技開始はは大阪の中学、真住(ますみ)である。
「先輩たちが格好良く見えました」
 同級生はSOの山中亮平だった。
「彼のハイパントを取りに行っていました」
 山中はコベルコ神戸スティーラーズに所属。先のW杯にも出場した。日本代表キャップは30。山中や杉本ら現役を続ける同期は刺激になっている。

 高校への進学理由にも言及する。
「コーダイのジャージー、紺で胸元に赤ライン2本に憧れがありました」
 そして、高校入学から19年が経ち、母校の監督になった。人生は面白い。

 白木の監督としての初采配は元日に開幕する「サニックス ワールドラグビーユース交流会2024予選会」になる。
「もちろん、優勝を目指します」
 年末年始の全国大会に出場しない16チームがトーナメントを戦う。優勝チームは5月の本大会の出場権を得る。

 白木に託されたのは、「強い工大、常翔の復活」である。
「そのためには、基本に戻る。走る、当たる、押す、です。一生懸命に頑張ります」
 高校時代の野上の教えを踏襲する。

 スローガンはこれまでのものを使う。
<明るく、素直に、ひたむきに>
 常翔ラグビーの中興の祖で、野上の恩師である荒川博司が作ったものである。<ひたむきに>はのちに加わった。亡き荒川にとって白木は孫弟子にあたる。

「自分たちが今あるのは、先人たちが築き上げてきてくれたものがあるからです。自分はそれを継承しつつ、発展をさせてゆきます」

 常翔学園の創部は戦前の1937年(昭和12)。90年近い歴史を有する。長らく使っていた淀川河川敷の土のグラウンドは2年後、校舎横に人工芝のそれとなって生まれ変わる。施設はよくなっても、変わってはいけないものも、またある。白木はそれを大切にしてゆく。

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