東洋大は2季連続全国ならず…。2年・森山海宇オスティンの「これからできること」とは。
目標に手が届かなかった。東洋大ラグビー部は、初昇格した昨季から2シーズン連続での大学選手権行きを逃した。2年生でLOの森山海宇オスティンは言った。
「反省もありますが、これから新しくできることもいっぱいある。それを、していきたい」
加盟する関東大学リーグ戦1部では、第6節終了時点で8チーム中3位。選手権に進む上位3傑に入っていたが、11月25日から各自であった最後の第7節で状況が変わった。
それぞれ4、5位の法大、大東大が、25日に白星をつかんで順位を上げた。東洋大は、26日のラストゲームへ8チーム中5位の立場で挑むことになった。その日に対戦する日大は、負ければ入替戦進出と背水の陣にあった。
当日、東洋大は3分に先制した。序盤から大内貫太郎、金井悠隼の両FLがよくタックルした。
5ー5と同点で迎えた26分には、自陣深い位置で相手のパスミスした球を快速WTBのモリース・マークスが蹴り飛ばす。弾道を追い、さらにドリブルし、フィニッシュした。
堅守から少機を見出す東洋大らしい展開で、12ー5とリードを奪った。
森山も渋く光った。
12ー17と5点差を追う後半12分頃、敵陣22メートル線付近右の自軍スクラムでターンオーバーされるや、すぐにその場を離れて走り出した。
ボールが展開された左側のスペースを埋め、好突破を繰り出す相手CTBのジョアペ・ナコのオフロードパスをカット。ピンチを未然に防いだうえ、一気に前進した。勝ち越しのチャンスを作った。
しかし、及ばなかった。森山はこうだ。
「リロード(起き上がりと位置取り)、(攻めの)テンポが遅くなったことが敗因です。日大のタックルのバインドがしっかりしていて、ラック(に圧力)をかけられた」
最後は12ー20でノーサイド。これにてシーズン終了だ。福永昇三監督は、その現実を受け止めるのが難しそうだった。
「全く負ける想定をしていなかったので、言葉が見つからない状況にあります」
シーズンに喫した4敗中3戦は10点差以内とあり、要所での踏ん張りが改善点となるか。そう水を向けられた指揮官は、自戒を込めて言う。
「(問題は)トレーニングの質。そこだと感じました。どれだけ高い意識を持って、どれだけ時間をかけて身体を作るかという部分では、(去年と今年では)少し違うなと。(今年も意識の高い選手は)少ないわけではないんだけど、勝負どころで(点を)取れないのを受け、少し、そう感じています。この悔しい思い、彼らにとって大きいと思うんですよね。これから、努力の質が変わる」
福永にとって、森山はチームの象徴にしたい選手のひとりだった。
昨季のリーグ戦開幕節で、当時4連覇中の東海大を破った直後のこと。他の部員が喜ぶなか、ルーキーだった森山は転がっていたボールを拾い集めていた。本人はこの調子だ。
「ボールが落ちてたんで、拾ったってだけです。チームとして当たり前のことを当たり前にできたらなと」
それぞれの利他の心がチームを動かすと考える福永は、森山を早くから1軍に上げた。森山はLOやFLに入り、プレーで期待に応えた。いまは身長181センチ、体重108キロ。強烈なタックル、突進を繰り返せるのが強みだ。
森山がラグビーの好きなところは、このコンタクトの局面と、何より「仲間」ができることだ。
「練習中の意見交換でも、人とのコミュニケーションについて勉強になるなと(感じる)。普通にラグビー以外のコミュニケーションもあって、仲間って、いいなと」
現在は埼玉で寮生活中だ。母の美芳さんは大学在学中に他界し、父でナイジェリア出身のマクドナルド・アレキサンダー・マッカートンさんが実家に残る。
澄んだ瞳のオスティン少年は、幼少期を東京で過ごした。中1で練馬ラグビースクールへ通い始め、高校は「ハーフが多いところ」がよいからと、ダイバーシティの風情がにじむ目黒学院高を選んだ。2、3年時に全国大会を経験し、その間、福永監督へ東洋大に誘われたのだ。
東洋大もまた、南アフリカ出身のジュアン・ウーストハイゼンら世界各国の出身者を集める。
「先輩も優しくて、楽しくできています」
来季は3年生となる。リーダーシップも期待されるなかで考える「新しくできること」とは何か。
そう聞かれると、いつも試合で声を枯らしているのに、「声の部分が足りていなかった。横にいる選手とのコミュニケーションを取っていきたい」と話した。