どんな時でも全力。ヘイデン・ベッドウェル=カーティス[相模原DB]が示す道。
チームを2度のトップディビジョン昇格に導いた功労者だ。
三菱重工相模原ダイナボアーズで5シーズンに渡ってプレーした、ヘイデン・ベッドウェル=カーティスが今季限りで退団した。
花道は自ら作った。
D1残留を確定させた、入替戦2戦目の最後のコンバージョンを蹴った。
昨季キャプテンを務めたバックローは、試合終了間際にトライを奪ったSOマット・トゥームアからボールを受け取る。正面のキックを沈めた。
「(本来のキッカーである)パップ(トゥームアの愛称)には先輩パワーを使って蹴らせてもらいました。この日のために(通訳のピックン ダグラス)ダグと練習してきたからね。最高の気分だったよ」
カテゴリB、Cにあたる外国人枠の関係で、今季はプレー機会が減少した。先発はゼロ。7試合にリザーブで出場した。
それでも、限りある時間で身上のハードワークを惜しまなかった。
「もっとプレーしたかったけど、チームのために何をしなければいけないかは理解していました。大事な場面で集中すること、努力することは特に意識しました」
ダイナボアーズでのラストゲームとなった、2戦目の入替戦で見せたプレーには胸を打たれた。
後半21分に登場。すぐさま相手のグラウンディングを阻止すると、直後に背負ったゴール前でのピンチにもタックルでチームを救う。試合終了間際にはチョークタックルを連続で決めて、相手の反則を2度も引き出した。
試合前には退団が決まっていた。加えてD1残留が確実な展開となってから、ピッチに送り出された。
そんなモチベーションを保つのが難しく映る試合でも、献身的なプレーはノーサイドの笛が鳴るまで続いた。
HOの安江祥光は言った。
「そうした信頼があるからこそ、こうした大事なゲームを一緒に戦いました。安心して背中を任せられる、命を預けることのできるグッドガイです。素晴らしいパフォーマンスでした」
愛称HBCは、「このチームが大好きですし、ともに戦ってきた仲間のために戦いたかった」という。
「日本に来てから所属した唯一のチームです。これまでサポートをしてくれた人たちへ、恩返しがしたい気持ちもありました」
「自分は80%、90%で調整できるような器用な選手ではありません。どんな時でも100%を出す」とも言った。それがこの世界を生き抜く術でもあった。
トップチャレンジに所属していた、ダイナボアーズに来たのは2018年。急なできことだった。
当初入団予定だったジョーダン・タウファがオールブラックスに招集されたため、契約が白紙に。代役として白羽の矢が立ったのが、同じクルセイダーズで同じバックローのHBCだったのだ。
「最初は半年の契約でしたから、そこで終わりと思っていました。(残してくれた)ダイナボアーズにはとても感謝しています。5シーズンいるとは想像していませんでした。来た時は日本で19位くらいのチームでしたが、今季は10位まで上がることができた。トヨタや東芝に勝って、新しい歴史も作れました。そうしたチームで過ごすことができたことを嬉しく思います」
短期間でチームの信頼を勝ち取ったのは、ハードワークに他ならない。それが苦労人であるがゆえのポリシーなのだ。
「自分は下積みの長い選手です。努力し続けて、粘って、ようやく次のステージに上がれた。それからいろんな扉が開きました。日本に来た時は、新しい国でのチャレンジだからこそ、よりハードワークをしなければならないと思いました」
ボーデン・バレットやサム・ケイン、ブロディー・レタリック、コーディー・テイラーら、最強世代とうたわれたU20ニュージーランド代表の一員にあって、大きく出遅れた。建設会社で働きながら、5シーズンをタラナキ代表として過ごす不遇の時間もあった。
しかし、25歳になってようやくクルセイダーズから声がかかると、生活は一変する。翌シーズンには先発に定着し、チームの連覇に貢献。決勝も背番号6をつけて先発した。
そんな道を歩んできた。
周りと差をつけられたり、目標に手が届かなくて悩んでいる選手たちは多いだろう。HBCは同じ境遇の仲間にエールを送る。
「一番大事なのはメンタリティです。どれだけそれが欲しいのか、どれだけその夢を叶えたいのか、です。自分がどれだけ良いプレーをしても、毎回良い方向に進むわけではありません。チームと合わなかったり、コーチの意向で他の選手が優先されることも、ラグビーでは起こりうるでしょう。でも、自分が努力をしなければその夢は叶いません。自分が本当にやりたいことなのであれば、例えば他の仕事をやりながら朝早く起きてジムに行ったり、仕事終わりにHOであればスローを100回投げる。一つ扉が閉ったとしても、もう一つの扉が必ず開きます」
5月末のインタビューには母国から対応した。「毎日大雨が降るので、タラナキに戻ってきた実感している」と笑顔を見せる。
「自分がやらなければいけない家事を奥さんがノートに書いていました。家の壁をペンキで塗り直したり、庭にある木を抜いたり。ようやく半分くらい終わらせたよ」
今後も日本でのプレーを希望している。複数のクラブと現在、交渉中だ。
チームメイトのリンディ真ダニエルと共同経営している移動カフェ、「コーヒーチャーリー」も続けたい。
夢を追いかける、努力は続く。