【ラグリパWest】やって後悔する。前坂梨空 [IPU・環太平洋大学/ラグビー部OB/SO]
ここにも、ラグビーで人生を切り拓こうとする若者がいる。
前坂梨空である。姓はまえさか、名はりく。今月1日で23歳になった。
先月中旬、ニュージーランドから帰国した。半年ほどの武者修行で、成果を得る。
北島の東北部にあるベイ・オブ・プレンティーの育成チームにSOとして選ばれた。
育成チームは現地では「ディベロップメント」と呼ばれ、二軍の意味合いもある。
前坂は太い一文字の眉を持つ。
「半年間で成長できました」
眼も口も大きい。意志の強さが出る。
ベイ・オブ・プレンティーはBay of Plenty。州ベースで争うニュージーランドの国内選手権に参加する14チームのひとつだ。
国内選手権はNPCと略される。National Provincial Championshipである。大会規模はスーパーラグビーに続く国内2番目だ。
日本とは季節が逆のため、今はシーズン終盤。黄と青のジャージーをまとうトップチームは9位でレギュラーシーズンを終えた。
そのディベロップメントのトライアウトを174センチと大きくない前坂はくぐり抜ける。
「5人が最後は2人になりました」
キックとパスの長さと精度を評価された。
初戦のノースランド戦から4試合連続で交替出場する。正SOはひとつ下のアーロン・ギブス。ディベロップメントはリーグ戦や順位は特に持たない。
日本のリーグワンチームに属して、ディベロップメントに出る選手は多い。しかし、所属がなく、縁もゆかりもない日本人が選ばれることは少ない。前坂の能力を示している。
司令塔としてのSOならではの苦労もした。
「指示が通じませんでした」
ジャングリッシュ、いわゆる日本的英語はダメ。スマホから発音を聞いて勉強する。
その不自由な中で経験を積む。
「ゲームコントロールとFWとのコミュニケーションは勉強になりました」
短く、的確な言葉を使うことを学ぶ。
キウイと呼ばれるニュージーランド人の中でも堂々とプレーできたのは、出身大学が大きい。4年間を過ごした岡山のIPU・環太平洋大には外国人留学生がいた。
2007年、開学と同時に創部された濃紺ジャージーのチームで、前坂は歴史を創る一員になった。これまで全2回の大学選手権出場に先発SOとして名を連ねた。
チーム初出場は59回大会(2022年度)。前坂は1年生だった。初戦の2回戦で福岡工大に25-31で敗れた。翌年、ニュージーランドの北島にあるネイピアに1か月の短期滞在をする。今回の留学の前段である。
3年時の大学選手権は同じ回戦、相手に32-39と7点差負け。敗因を自分に向ける。
「僕のパスがインターセプトされてトライを獲られました。あれでチームは沈みました」
ひとつのプレーの重みを痛感する。
敗北の中、大会初勝利は記録できた。1回戦で八戸学院大を82-17とする。4年時は代表決定戦で朝日大に5-31。この敗戦でラグビーからは身を引くつもりだった。トライアウトの結果も思わしくなかった。
年が明けて、思いは変わる。
「このまま終わるのは悔しくなりました」
就職は徳島のアウディーに決まっていた。外車の営業をする予定だった。辞退の理由を話すと、「応援するよ」と言ってくれた。
父の篤史も背中を押してくれた。
「今年は好きにやっていい」
前坂に言葉が降りてくる。
<やらずに後悔より、やって後悔>
そして、3月、太平洋を南下する。
徳島で就職ならUターンだった。脇町ラグビースクールで小2から競技を始める。同級生の三木寛人の父・和典に誘われた。
「鬼ごっこみたいで楽しかったです」
中学卒業までこのスクールにいた。
キックを磨いたのは小学校時代である。
「家の前が吉野川の堤防で、学校から帰ってきたら暗くなるまでボールを蹴っていました」
パスは中学で上達する。指導員の折目真太郎がつきっきりで練習に付き合ってくれた。
高校は三木とともに脇町に進んだ。前坂の全国大会出場はない。城東が強かった。脇町の創部は1929年(昭和4)。徳島はもちろん、四国の高校ラグビーの先駆けである。
「校内には石碑があります」
全国大会出場は17回。県内3位になる。
IPU・環太平洋大進学は1学年上のSH佐光宥音(ひろと)がいたこともあった。1年生からHB団を組んだ。その力を監督の小村淳は惜しむ。母校・明治大のコーチ時代、同僚だった中原正義をたのみ、代理人につけた。前坂の夢の実現を援護する。
中原は丸和MOMOTARO’S成田のトライアウトを提示する。チームはリーグワンのディビジョン3(三部)に昇格した。GM兼監督の細谷直は小村の明治大の先輩でもある。前坂はそのトライアウトに合わせて帰国。チームに帯同しながら、結果を待っている。
丸和MOMOTARO’S成田と前坂自身も縁がある。今回の留学の基盤を整えてくれたのはチーム通訳についた吉川遼である。ロトルアの名門クラブ<ワカレワレワ>を紹介する。前坂はトップチームに所属。14試合に出た。そして、ディベロップメントに選ばれた。
留学ではカフェ文化にも触れる。ラテ・アートを覚えた。ハートを描くのは得意だ。
「働いていた日本食レストランの隣が系列のカフェでした。練習させてもらいました」
入国ビザはワーキング&ホリデー。異国で働くことで人としての経験値も上げる。
その労働の中でもうまくない英語を理解してくれた人たちがいた。渡航を軸に23年の歩みを振り返り、思うことがある。
「関わってくれた人すべてに感謝です」
その恩返しのためにもリーグワン入りを目指す。<他者のため>の気持ちを忘れずにゆけば、力はみなぎる。道は開けてゆく。



