「本当にやり切ったのか?」葛藤の中川真生哉[前・三菱重工相模原ダイナボアーズ]が新天地で見つけた原点
大切なことを西オーストラリア・パースで再確認した。
玉川学園(東京)、日本体育大学出身のLO、中川真生哉。三重ホンダヒート(現栃木ホンダヒート)を経て、三菱重工相模原ダイナボアーズに3季在籍。2024-25シーズン終了後に退団となった。
ヒートには社員として入社したが、ラグビーに専念するためプロに転向。出身である神奈川のダイナボアーズへ移籍し、入団1年目は先発2試合を含む7試合に出場した。
しかし2023年度からの2シーズンは、公式出場の機会が得られなかった。
「僕としては夢を持って移籍したんですけど、なかなか出場の機会が得られなくて。大学の時もホンダヒートの時も1年目から出場させてもらっていたので、『試合に出られない』ことがどれだけきついかを初めて感じました。自分のために、チームのためにトレーニングはしますが、やっぱり試合の機会が得られないのはきつくて、メンタルが本当に落ちました。結局そこは乗り越えられずに退団という形になりました」
公式戦で歓声を浴びずに終わった2シーズン。
心の支えになったのは、ピッチ外での声援だった。
「試合に出られなくても、スタジアムに行くとファンの方と会う回数がすごく多いんですね。そこで『来週期待してるぞ』とかたくさん声をかけてもらって、それが本当に頑張る糧になったし、この人たちのために何とか試合に出たいという気持ちが大きかったですね。それが僕の支えでした。地元のお店の方々にも温かい言葉をたくさんもらいました」
相模原の『そば処 きしや』の大将。「ずっと応援してるよ」と言ってくれた南橋本の居酒屋『二本杉』のオーナー。退団後を心配してくれた選手御用達の理髪店『中里理容店』のおばちゃん――。
「そういう方々も含めて、仲間からも『次はどうするのか』と聞かれるんですけど、試合出場がなかったこともあってか、退団後のオファーはありませんでした。僕としても『まだ決まってません』としか言えなくて」
現役中からセカンドキャリアのイメージはしていた。以前から興味のあった飲食系だ。しかし次の移籍先が決まらない日々の中、なかなか踏ん切りは付かなかった。
「飲食にすごく興味があったんですが、なかなか一歩が踏み出せなくて。ラグビーを自分で辞めたわけじゃなかったので『やり切りました』とも言えなくて。でも次の仕事を探すしかないと思って、飲食チェーンを経営している会社社長に『話を聞きに行かせてください』と連絡をして、会いに行ったんです」
その会社社長との面談で、心の奥底を見抜かれた。
「その社長の方から『本当にラグビーやりきったの?』と言われました。『やり切っていないなら、仕事を始めた時とラグビーとのギャップにすごく苦しむと思うし、そのままの状態で仕事はしてほしくない』と言われて。その場では『大丈夫です』と答えましたが、家に帰ってからすごくモヤモヤして……」
そこで、本当の気持ちに気づいてしまった。
「このモヤモヤは何だろうとずっと考えていたら、そうか、まだラグビーやりたいんだな、と」
すると、その直後。2月下旬だった。ダイナボアーズに移籍で同期入団した仲間から連絡があった。静岡ブルーレヴズでもプレーした中井健人だ。
「同じ年にダイナボアーズに入って一緒に退団になった同期の中井が、パースのパルマイラというチームでプレーしていたことがあって、そこで僕の名前を出してくれました。『これからシーズンがあるから真生哉どう?』と。本当にすごくタイミングも良かったので、そこから向こうのマネージャーと話して、という流れでした」
パルマイラは西オーストラリア・パースにある1934年創設の伝統チーム。出身者には、元ウエールズ代表でグリーンロケッツ東葛でもプレーしたLOジェイク・ボール、マツダスカイアクティブズ広島のLOジャクソン・ピューらがいる。
「正直オーストラリアでプレーする選択が良いのか悪いのか分からなかったのですが、チャンスがあるならと、飛び込んでみることに決めました」
英語が堪能というわけではない。それでもパルマイラのチームメイトは試合を重ねるごとに中川を仲間として受け入れてくれた。
中川はパルマイラで最高峰プレミアグレードなどのレギュラーシーズンにほぼ全試合(17試合)に出場。レベルは高く、リーグワンで必ず活躍できると思わせる二十歳前後の逸材も多かったという。
「午前中にスタメンで80分試合した後、午後の試合にリザーブで入って30分プレーしたこともあって(笑)。『でもこれがクラブラグビーだよな』と思って楽しめました」
活動量と愚直さは中川のスタイル。コーチからはその運動量を称えられ、フランカー転向を勧められたという。中川自身も190センチのフランカーになる道も考えている。
「そうした環境でプレーするうちに『ラグビーってやっぱ楽しいし、すごく良いスポーツだな』と、心の底から思えました」
パースでは現地在住の日本人に多くのサポートを受けた。ここでも「人」が心の支えになった。
「やっぱりラグビーが繋ぐ人との縁は本当にすごいなと、しみじみ思います」
自宅に招いて日本食を振る舞ってくれた早稲田ラグビー部出身の梶村大求さん。パースの日本料理店『MON Japanese Bistro』を経営する高橋隆幸さん。千葉・松戸高校ラグビー部出身でパルマイラでコーチをする森川康晴さん。現地での生活サポートをしてくれた元秋田ノーザンブレッツ、元ダイナボアーズの小川知樹さん……。
加入当初はパルマイラの熱心なサポーターの家に泊まらせてもらっていた。「本当に人に恵まれているし、感謝しかありません」と中川は言った。
9月、パルマイラのラグビーシーズンが終わった。
ビザはまだ残っているが、中川は日本に帰国することにした。
大きな目的はこれからプレー機会を探すことだが、ビザが残っている中での帰国には別の理由もある。14歳頃まで同居していた86歳の祖母、多比良好子さんの存在だ。
「オーストラリア行きは急遽決まったので、実家近くに住んでいる祖母には出発前に『3、4か月行ってくる』と伝えてしまって(実際は約半年)。小さい頃から可愛がってくれた祖母が『真生哉はいつ帰ってくるのか』と言っているというので、帰って安心させたい、というのも帰国の大きな理由です」
帰国したら青山学院大学の試合も観戦したい。弟・圭陽が今年、4年生にして対抗戦デビューを果たしたからだ。
年の離れた仲の良い弟。中川自身、プレー機会に恵まれなかった社会人での3シーズンがあるからこそ、弟が掴み取った「4年でデビュー」の重さが分かる。
「やっと努力が報われて良かったなと。弟のことが大好きなので。帰国したら試合は絶対に見に行きます」
いま、心持ちは晴れやかだ。約半年前の3月16日、日本を発った時とは別の気分で空港に降り立つ。日本を離れる前に抱いていたモヤモヤは、パースの大きな空の下で過ごすうち、すっかり小さくなった。
「中学1年からのラグビー人生で『ラグビーを辞めたい』『嫌いだな』と思う時期も何回かありました。でもパースで、やっぱりラグビーを続けてきて良かった、やっぱり僕はラグビーが好きでここまでやってきたんだな、という確信が持てました。これは僕の中で、本当に大きな経験になりました」
苦悩の末に行き着いた新天地での日々が、大切な原点に気づかせてくれた。今後も試行錯誤が続くだろう。しかしラグビーはこれからも中川の人生の宝物であり続ける。





