国内 2026.08.27

飛んで走る原石。大体大・山内デイビスはなぜラグビー界に見つかったのか。

[ 向 風見也 ]
飛んで走る原石。大体大・山内デイビスはなぜラグビー界に見つかったのか。
WTB山内デイビス(筆者撮影)

 持ち味を発揮しているように映った。

 身長178センチ、体重80キロの山内デイビスは、大体大ラグビー部の11番をつけて長野・菅平高原で練習試合に出ていた。

 合宿中の8月24日、対する日大が高い弾道のキックを蹴り上げてくるたび、落下地点の後ろから駆け上がって走り高跳びの要領で迫る球へ向かう。片足を相手の方角へ向け、胸元で捕球。クリーンキャッチを決めたり、体当たりに来た相手の反則を誘ったり。

 もっとも、当の本人はこの調子だ。

「いや…。得意なほうではありますけど、そこまで(飛びぬけて)得意ではないです。きょうは、よくやっていた感じです」

 かつて関西大学Aリーグを5度制した古豪はいま、Bリーグからの昇格を目指す。この日の主力マッチでは、関東大学リーグ戦1部に加盟する大規模校をスクラムなどで苦しめながら7-46で敗れた。

 山内はそのゲームでWTBを務めた。自己認識とは裏腹に際立つジャンプを繰り返し、かつ、価値ある失敗を重ねていた。

 中盤で向こうのキックを処理し、目の前に立つタックラーがやや大柄だったのを見てスピード勝負を仕掛けたことが2度あった。いずれもタッチライン際へチャレンジした末、防御の網にかかってフィールドの外に出された。

「相手(との間合い)が詰まっているなか、ハイパント(高い弾道のキック)を自分で上げて捕りに行ったり、内側へ切って(仕掛けて)味方を待ったりしたほうがよかったかもしれないです」

 この体験を、明日への肥やしにする。これから似たシチュエーションに出くわした際の判断について、アップデートできた。
 
 発展途上の原石である。学生シーンのトップ選手の多くが幼少期から楕円球に触れているのに対し、山内は競技開始から5年も経っていない。

 大阪府立の成城高に入学すると、中学までしていたバスケットの部活がさほどさかんではないと気づいた。「じゃあ、新しいことに挑戦してみようかな」と、経験者の友達と誘い合って入ったのがラグビー部だった。ほとんどの期間を「4人」で活動。複数の高校と合同チームを組み、各種大会に出ていた。

「きつい部分もありましたが、トライした時の楽しさが勝って続けてきています。(平日は)ウェイト(トレーニング)に専念することが多く、土日は合同チームでラグビーの練習をする感じでした。」

 少人数校にあっても、その身体能力とボディバランスは関係者に注目された。

 高校2年で、全国の自分たちと似た環境にいる選手が集まるコベルコカップに「U18近畿ブロック合同」の一員として出場。その年の冬には、日本ラグビー協会が原石を集めるビッグマン&ファストマンキャンプに参加した。3年目の冬にはU18合同チーム東西対抗戦で「西軍」のメンバーとなり、トライを決めた。

 その間、このスポーツを通して大学に進めることになった。

「高2の最初くらいに最初の大学に声がかかり、『ラグビーで大学に行くことができるんや…』と思い、高2の途中くらいに『こういう大学に行き、ラグビーがしたい』と決めました。OBの支援が手厚く、同じ中学(城東中)の先輩も多く、(カリキュラム上)教師や警察官になれるとも聞いたので」

 1968年創部の歴史あるクラブの一員として、普段は寮で暮らす。オフにはその場から電車とバスを乗り継ぎ、実家へ帰る。それぞれ同じ大阪の南側と北側にあるから、移動には2時間ほどかかる。帰省すればアメリカ人の父と日本人の母がいて、姉の話す英語を聞き取り日本語で返す。

 このキャンパスライフの向こう側では「ラグビーを続けられたら。できなければ、教師になってラグビーを教えたりしたい」。フィールドを走りまくることで、卒業後の進路も決められたら最高だ。

PICK UP