コラム 2026.08.13

【ラグリパWest】捲土重来のために㊦。目黒学院高校ラグビー部

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】捲土重来のために㊦。目黒学院高校ラグビー部
過去冬の全国高校大会で優勝と準優勝を5回ずつ経験している目黒学院のラグビー部は完全復活に向け、日々を過ごしている。写真は今年2月の関東新人大会から。エンジのジャージーの目黒学院は8強戦で決勝に進出する桐蔭学園に12-42で敗れる(撮影:黒崎雅久)

 トンガ人留学生を積極的に受け入れる目黒学院は高校ラグビーの名門のひとつだ。

 校名「目黒」の時代、全国大会の優勝と準優勝を5回ずつ成した。その半世紀ほど前に戻すべく、指導陣5人は奮闘している。

 5人を束ねる監督はOBで情報科教員でもある竹内圭介だ。東洋大を出て、一般企業に勤めたあと、23年前に赴任した。

 同じOBの小倉純一は外部指導員として、FWコーチと寮長を兼務している。チーフコーチは倉上俊(くらかみ・すぐる)である。

 倉上は47歳。BKを中心に見る。保健・体育教員でもある。日体大時代はCTBとして公式戦に出場したこともある。

 出身高校は東京だ。
「目黒とはよく練習をしていました」
 東京の現総監督の森秀胤(ひでつぐ)は目黒のOBであり、日体大の先輩にあたる。

 その関係もあり、目黒学院の前監督だった幡鎌孝彦が引っ張った。赴任は2007年。竹内とは4年遅れになる。在籍20年目に入り、チーフコーチと監督の気心は知れる。

 指導の身上がある。
「部員の長所を把握して、それが最大限出るようにしてあげたい。やりたいではなく、できるラグビーに磨きをかけたいです」
 理想ではなく、現実的な勝利を目指す。

 倉上はまた<ラグバンスめぐろ>の中心だ。未就学児から中学生にもラグビーを教えている。開催は週2回。目黒学院のグラウンドを使う。2年生LOの篠塚蓮太郎も出身者だ。父の公史はサントリー(現・東京SG)のLOとして日本代表キャップ6を得る。

 小倉と倉上が専門技術を落とし込む。その一方で選手の身体能力を高めるのはS&Cコーチの西山一貴(いっき)である。40歳。倉上と同じ保健・体育教員であり、高大の後輩でもある。世田谷区ラグビースクールや東京高ではWTBやSHを経験した。

 日体大ではライフセービング部に入った。卒業後は文京学院大女子高でバレーボール部の顧問を5年間、つとめた。
「インターハイでは準優勝しました」
 競技こそ違うが決勝進出は今の目黒学院には未知の世界だ。その経験は心強い。

 就任4年目。トレーニングは日体大時代を基礎にバレーなど今までの学びを混ぜ込む。
「やってきたことがつながっています」
 ウエイト中心の朝練習では中心になる。
「口調や話すテンポにも気をつけています」
 部員たちが吸収しやすいように心を砕く。

 5人目の顧問は今関(いませき)大輔だ。付属の中学校ラグビー部の監督でもある。
「今の部員は中3と中2の6人ですね」
 中学設置は1995年。目黒学院の創立はその55年前、1940年(昭和15)である。スタートは東京機械工科学校だった。

 高校は今、全日制の普通科のみ。男女共学にもなった。高3は11クラスで構成されている。その中で早慶などへの進学に特化した中高一貫コースは2クラスある。高校の生徒数は1000人ほど。学校は中目黒、恵比寿の駅からそれぞれ徒歩5、10分と至便だ。

 学校の人気を竹内は説明する。
「志願者が増えています。この辺りには偏差値的に上か下かの高校が多く、真ん中がありません」
 目黒学院は中堅から上位の都立併願校にもなった。ひとつの生き残り方を示している。

 今関は数学教員でもある。赴任は1998年だった。年齢は53。都立の府中西から東京理科大に進んだ。中高は野球をやった。ラグビーは未経験である。
「顧問になって9年目になります」
 竹内から就任の依頼もあった。

 今関は雑務をこなす。
「チームのため。ひとつの仕事ですね」
 遠征や合宿に付き添い、大人の立ち合いが必要なもろもろの用事をこなす。部員を集合させ、連れて帰って来る。洗濯や買いものに一緒に行く。バスの運転もできる。

 今関のような人間がいるからこそ、チームは回ってゆく。謙虚さもこの人の味だ。
「受け入れてもらっているのかな、と感じています」
 ラグビーの経験こそないが、今関は競技が持つ<奉仕の精神>を体現している。

 竹内は4人への感謝を込め、おどける。
「僕がすることは何もありません」
 竹内自身は勧誘と進学に注力できる。
「スポーツサイエンスの枠はいっぱいです」
 いわゆる<ラグビー推薦>は人気する。先月の関西遠征時にも中学生に会っている。

 全国から集まる部員たちのため、ラグビー部の専用寮は2年前に都内から川崎に移転して、大きくなった。寮長の小倉の下、生活する部員は40人ほどいる。今年の選手数は88人。その約半分が親元を離れ、上京して、ラグビーに挑んでいる。

 進学に関しても、竹内は労力を惜しまない。
「部員には希望する大学をすべて書かせます。そこで一つひとつ説明してゆきます」
 例えば、母校の東洋大の志望者には「スポーツ推薦は向こうから来てくれと言わないと難しい」と現状を伝える。

 竹内には初代監督の梅木恒明の前進するスピリッツが受け継がれている。1959年創部のチームを梅木は朝5時に始まる練習や久我山との明大の八幡山グラウンドにおける勝つまで終わらない練習試合で強豪化した。梅木は13年前、79歳で没した。スパルタこそ過去のものになったが、その熱量は変わらない。

 冬の全国大会、通称「花園」出場は100回大会(2020年度)から数えて6年連続になった。93回大会からは都最長である。この4月には、ラグビー部から初めて慶大への入学者も出した。平田シャニョン武郎だ。

 目黒学院は5人の指導陣が一丸となり、結果を積み重ねている。そのエンジのジャージーは素材こそ変わったが、デザインに手は加えられていない。目黒学院は変えてはいけないものを知る。それこそが伝統である。

 群を抜く強さが、昔日のことではなく、今のこととして語られる努力を続けてゆく。

(捲土重来のために㊦終わり/㊤はこちら

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