【ラグリパWest】オシ君がいるじゃあないか。押川敦治 [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/SO]
オシ君がいるじゃあないか。
愛称の主は押川敦治。名は「あつし」と読む。クボタスピアーズ船橋・東京ベイの背番号10をバーナード・フォーリーから受け継ぐ筆頭格である。
10番はラグビーではSOであり、試合を組み立てる司令塔と呼ばれる。フォーリーは先のシーズンで現役引退をした。オーストラリアの代表キャップは76を得た。
フォーリーは10歳上。押川は27歳になった。比較すれば春秋に富む。
「だから、SOを獲らなかったでしょう」
スラッシーこと田邉淳は説明する。略称「S東京ベイ」のアシスタントコーチである。
S東京ベイのSOはCTBが軸の立川理道や岸岡智樹がいる。立川はフォーリーと同じ年。岸岡は押川の2つ上だ。立川は「ミスター・クボタ」であり、日本代表キャップは62。その2人をしのぐ期待感がある。
先の21の公式戦中、フォーリーの欠場は1試合のみ。押川はFBでの起用も含め、15試合に出て、2季連続の準優勝に貢献する。S東京ベイは2人をかぶせることによって、将来の戦力低下を防いでいる。
押川はSOとFBを比較する。
「SOの方が苦しいです。シニアの選手に指示を出して、反論を食らうこともあります。でも、楽しい。自分で試合が作れます」
話し方は柔らかい。温かく相手を包み込む。俳優の吉田栄作がイメージされる。
その人間性をS東京ベイの現場トップ、GMの前川泰慶(ひろのり)は披露する。
「岩出さんに言われました。押川を獲っておいたら間違いない、あとに続くよ、って」
岩出雅之は帝京大のラグビー部顧問だ。押川の恩師である。
その言葉通り、押川に続き、二村莞司と江良颯が2年連続で加入した。二村はユーティリティーBKだ。前川は続ける。
「押川は江良と同部屋だったそうです」
部屋っ子がその延長を望む。江良は日本代表キャップ6を持つHOに成長した。
その押川の特徴を田邉は口にする。
「ラグビーが大好き、って感じです。好きだけに試合も練習もよく見ています」
森本努はその言葉にかぶせる。
「あの子は魔法使いのようや」
杖を振るような感じで、一瞬で状況を変えてしまう。攻撃ではほころびを突き、守備ではその穴を埋める。
森本は還暦越えの楕円球ウォッチャーだ。店主である神戸のバー「Collapsing」(コラプシング)では常に試合の映像が流されている。現役時代は大体大や社会人のワールド(すでに廃部)のバックローだった。
その押川が焦ったことがある。先のプレーオフ準決勝、埼玉WK戦の終了直前、キックオフボールを外へ蹴り出してしまった。
「心は平静でしたが、体に力が入りました」
やってモーターボート、と本人が思ったかどうかは定かではない。
仲間たちはハーフからの埼玉WKの攻めをタッチライン外に押し出してくれた。26-24のまま試合は終わった。チーム内報道によればロッカーでは涙目だったという。
「泣いていません。少し顔が崩れただけです」
胸をなでおろしたのは間違いない。
しくじりも喜びも包含する競技は幼稚園の年中から豊中ラグビースクールで始めた。
「じっとできない子でした」
高校からは京都成章で続ける。
「練習参加した時、楽しそうに見えました」
開催会場から「花園」と呼ばれる冬の全国大会には3年連続で出場した。
最終学年は主将SO。97回大会(2017年度)は8強敗退する。桐蔭学園に14-36だった。その本大会より印象深いのは京都府の予選決勝だった。
「最後の伏見工の名前が入った試合でした。気合いが入ったことを覚えています」
伏見工・京都工学院を22-14と逆転勝ちで破った。押川はトライを挙げている。
進んだ帝京大は岩出が監督だった。
「関東でラグビーをやりたかったのです」
入学直前に大学選手権において最長の9連覇を記録する。次の全国制覇は4年時の58回大会(2021年度)。決勝では明大を27-14で降した。
当時はCTB副将だった。強烈な練習をくぐり抜けてくる。グラウンド周りには<嘔吐用>と書かれたバケツが置かれる。
「何度ももどしました」
2時間弱、走りっぱなしだった。スタミナ強化の末の4大会ぶりの頂点だった。
S東京ベイを保有するクボタには社員選手として2022年の4月に入社した。現在は農業機械事業部の農機渉外部に所属する。
「行政との窓口ですね」
クボタの軸のひとつであるトラクターやコンバインを扱っている。
社業やラグビーのない日はSUP(サップ)を楽しむ。Stand Up Paddleboardの略で、水面をボードの上に立ってパドルで進む。
「大自然が感じられて、いいですよ」
日光にある中禅寺湖などでこのマリンアクティビティーに没頭する。
気分転換を適宜交えながら、5か月後に始まる新シーズンを見据える。
「もう1回、優勝したいですね」
S東京ベイにとって唯一の優勝は2022-23のシーズンだった。押川は入社1年目。先輩たちに勝たせてもらった感覚が残っている。
上を目指すのは、それがまた挫折と安堵が重なる押川の集大成にもなるからだ。高校、大学ともに第一志望ではなかった。
「4年になるまで進路は決まりませんでした」
S東京ベイは別の選手に先に声をかけていた。彼は人気を博し、ほかに流れた。枠が空く。S東京ベイに入る。ホッとした。
高校と大学では行った先で満足を得た。社会人もまたそうでありたい。
「もがきながら成長してゆきたいです」
結果オーライ上等だ。最終的に正解に導ければそれでいい。人生はそういうものであることを押川はわかっている。



