コラム 2026.05.15

【ラグリパWest】消えぬ炎。武田裕之 [金沢学院大学附属高校/保健・体育教員/ラグビー部監督]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】消えぬ炎。武田裕之 [金沢学院大学附属高校/保健・体育教員/ラグビー部監督]
金沢学院大学附属高校のラグビー部を率いる武田裕之監督。今年、還暦を迎えるが、高校生指導にかける炎は消えることはない。天理時代は全国準優勝、日本代表でクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属する立川理道の成長に手を貸し、創志学園時代はチームを全国大会に出場させている。経験は豊富だ

 武田裕之は高校ラグビーにおける名伯楽のひとりと言っていい。7月に還暦を迎える。

 天理の監督時代、クボタスピアーズ船橋・東京ベイの「ハル」こと立川理道の成長を助けた。SOやCTBとして日本代表キャップは実に62を数える。

 ハルを軸に武田はBKラインを浅くした。
「ディフェンスが今ほど出て来なかった」
 ハルが突っかけ、少ない歩数で地域を獲る。ミスが出てもカバーは大きく下がらない。

 いわゆる「フラット・ライン」の完成である。ハルが主将をつとめた2007年度は全国8強に進んだ。87回大会は長崎北陽台に10-14と逆転負けをする。

 武田は教え子を評する。
「試合のあと、最初に相手にあいさつに行く、ということを続けてくれている」
 対戦相手への敬意を教えた。勝ち負けではない。試合をしてくれたことに感謝する。

 ハルはチームを通じてコメントを寄せた。
<武田先生は生徒一人ひとりに向き合い、ラグビーだけでなく大事なことも教えてくださいました。卒業後も連絡やアドバイスをいただき感謝しています>

 武田は今、北陸の中心地、金沢にいる。金沢学院大学の附属高校で保健・体育の教員とラグビー部の監督をしている。4月から赴任3年目に入った。

 金沢は江戸時代、加賀100万石の城下町だった。武家屋敷やお茶屋街が残る。
「ラグビーと校務でグラウンドと学校の往復。それで頭がいっぱいやね」
 その文化を脇に置き、武田は懸命だ。

 今年は2年生の学年主任もつとめる。この学年に和泉結奈(ゆいな)がいる。ラグビー部の女子マネージャーだ。
「先生はめちゃめちゃ優しいです」
 武田ははにかむように笑う。その顔は円錐形だが、あごは平たい。鋭さはない。

 ラグビー部員は30人。そのうち新入生は12人だ。和泉らマネージャーは水を運び、体育座りをして、キャッキャと練習を見る。
「私が入る前、部員は5人だったんだよ」
 和泉は楽しそうに過去を伝える。

 武田の赴任は2024年の4月だった。大学ラグビー部の監督、野村倫成(みちなり)に誘われた。大学は3年連続で東海学生のAリーグ(一部)で3位に入っている。野村は附属の中学を含めた10年強化を考える。

 高校の創部年は武田の赴任に合わせている。昨秋、105回全国大会の石川県予選は決勝前の2回戦で敗退した。鶴来(つるぎ)に0-84。新チームで臨んだ新人戦は初戦でその鶴来を含めた合同チームに5-88で敗れた。

 今はまだ部員を集める時期だ。新学期を迎え、選手は26人になった。それでも試合形式の練習はできない。時間を見つけて武田は勧誘に飛ぶ。ゴールデンウィーク明けは福島から千葉に回った。金沢から新幹線を使えば、東京まで最速で2時間30分を切る。

 チームの強みは人工芝のグラウンドを持つこと。大学と共有する。専用寮はないが、他府県出身の8人は学校が借り上げる家に暮らす。3食は学校食堂で賄う。家賃と水道光熱費、それに食費のトータルは7万円強だ。

 武田は部員たちに視線を向ける。
「大切に育ててあげたい。中学の指導者のみなさんをリスペクトしている」
 その人たちがいるから、今の自分の立場が生きる。<預かりもの>の意識がある。

 武田の指導者としての振り出しは25年前だった。母校の天理である。ハルの入学前、ヘッドコーチとして全国準優勝にチームを導く。84回大会の決勝戦は4連覇する啓光学園(現・常翔啓光)に14-31だった。

 この時、準決勝までの平均失点は9。ディフェンスラインが1本のロープ状になって面を崩さない。部長の田中克己は言った。
「技術的なことは武田に聞いて」
 この啓光学園戦は優勝6回の天理にとって最後の決勝進出になっている。

 武田は高校から競技を始めた。現役時代はHO。高2の63回大会では全国優勝を経験した。決勝戦は大分舞鶴に18-16。その後、天理大からNTT関西に入った。社業に専念したあと、天理に戻る。自分を形作ってくれたラグビーを伝えたい思いがあった。

 その間、結婚する。家族は4人。妻の由子(よしこ)の旧姓は八ッ橋。弟の修身はFBとして日本代表キャップ12を持ち、母校の天理大のBKコーチになった。息子の誠太郎はラグビーをやり、石見智翠館から早大に進んだ。娘の真奈は妻と同じ保育士。武田は妻と娘を大阪に残し、単身赴任をしている。

 天理で指導者としての生活は11年。その後、岡山の創志学園に移った。ラグビー部を全国大会に初出場させる。100回大会は1回戦で石見智翠館に12-92で敗れた。

 岡山では12年を過ごした。その間、がんになった。あと1年で寛解する。学校側の部活に対する考えも変わった。学校食堂を壊し、武田が作って運営していたラグビー部寮の寮生に弁当をあてがう計画が進められる。

 その寮は自腹を切って作ったものだった。
「あの時は母の遺産があったからなんとかなったけど、ほんま大変やった」
 親から預かっている大事な子供に毎食弁当はない。そんな時、野村が誘いに来てくれた。創志学園に今、ラグビー部はない。

 武田は金沢の地での目標を語る。
「一県一強を崩したい。それに高校ラグビーの普及。天理の時にいい目をさせてもらった」
 県内には日本航空石川がある。冬の全国大会には21年連続で出場中だ。そこに比肩すれば確実に県内のラグビー人口は増える。

 普及にこだわる理由もある。
「ラグビーは世の中を平和にする」
 相手を尊重する。思いやる。プレーには責任が生じる。ルールの順守もある。そのマインドで生きる人間を増やしてゆきたい。

 2か月後、武田は60歳を迎える。
「65歳まで、ということで呼んでもらえた」
 あと5年はある。大学と同じこのエンジ色のジャージーを高みに導きたい。その使命感で毎日現場に出られる。幸せな晩年である。

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