【ラグリパWest】大阪・茨木の中学ラグビーの拠点。茨木市立南中学校
市立校の中学生がその在籍に関係なく、部活動としてラグビーに取り組める仕組みが、大阪の茨木市にはある。
茨木は「いばらき」と読む。淀川の北側、北摂と呼ばれる地域にある。大阪と京都のベッドタウンであり、JRと阪急の2線が通る。大阪には15分、京都には25分ほどだ。
市内には茨木高校がある。府内屈指の公立進学校で、旧制中学時代には川端康成を出した。後年、ノーベル文学賞を得る。ラグビー部は冬の全国大会の出場こそないが、創部は1945年(昭和20)と歴史を持つ。
その市内には公立中学が14校ある。南中学校がラグビーの「拠点校」になっている。短縮形は南中で、「なんちゅう」と呼ばれている。ここに別の10校から楕円球好きの中学生たちが集まってくる。
拠点校は合同と同じらしい。顧問の城本順光(しろもと・よりみつ)は説明する。
「書面が違うだけで、どちらも変わりません」
髪は白いものが混じる52歳だが、男ぶりは悪くない。保健・体育の教員でもある。
部員は南中が12人。残りの10校で20人ほど。卒業する3年生も含めている。
「遠い子もいるんで、放課後の練習は遅れてもいい、と言っています」
8キロほど離れている中学校もある。グラウンドには電動アシストの自転車で現れる。
練習の服装もきまりはない。
「部で作ったTシャツなんかはありますが、体操服でやっている子もいます」
出欠も個人に任せている。
「秋は文化祭や体育祭もありますし」
自由度は高い。
平日の練習は午後4時から1時間ほど。メインはタッチフット。楽しさを前面に出す。
「タッチフットだけでも、パスのタイミングや走るコースがよくなってきます」
すべては継続してもらうためである。
久米蒼二郎は南中の新3年生だ。茨木ラグビースクールにも登録している。
「練習や試合は楽しいです。みんな仲がよくて、雰囲気もいいです」
中学校は12人制。久米のポジションはFW。平日は中学、週末はラグビースクールにゆく。おかげで、ほぼ毎日練習できる。
久米の父・晃弘は淀川工から東芝府中に入ったフロントローだった。今、その名は淀川工科とBL東京に変わった。
「体をぶつける熱い感じが好きです」
久米は父の血を受け継いでいる。
城本は南中で参加する大会を話す。
「大きなものは3つです」
春の地区大会、秋の大阪府の選手権、そして冬にある新人戦だ。9月にあった選手権は1回戦で大阪市立の放出(はなてん)に7-40で敗れた。
その公式戦でさえ城本は攻め方を強制しない。ある試合で手順を示すポッドを2つ教えた。それに反して、部員たちはラックサイドを突き続けてトライを獲る。
「ポッドを尋ねたら、捨てました、と」
状況に応じて中学生自らが戦術を決めることを城本は「成長」と肯定する。
その城本が競技を始めたのは小3。大東ラグビースクールだった。高校は府立の大東。大体大3年の時にはSOとして公式戦に出る。蹴り足が左と希少だったこともあり、監督だった坂田好弘は大学選手権にも先発起用した。その31回大会(1994年度)は1回戦で日体大に10-44で敗れている。
卒業後は大体大の大学院に進み、修士号を得る。専門学校を経て、東大阪市で中学校の教員になった。家族の希望もあり、教員の他市異動の制度を使い、茨木市に移った。
最初の赴任校は東中学校。略称は「東中」だ。ラグビー部と顧問を兼務した男子バスケットボール部を全国中学校体育大会、いわゆる「全中」に出場させたこともある。東中の在任は9年。南中ではこの4月で5年目に入る。今は支援学級を担当している。
城本の東中時代の教え子に近大の新4年生、井上晴嵐(せらん)がいる。中学は養精(ようせい)だったが、ラグビーのため東中に通った。15人制ではFB。7人制ではセブンズ・デベロップメント・スコッド(SDS)のトレーニングメンバーに選ばれている。
城本がいる南中にはかつて、ラグビー部があった。当時の顧問だった永阪誠がポールも立てた。ただ、永阪の異動とともに部活は消滅した。ポールも引き抜かれた。
「ほかの教員から、ラグビーは復活ではない、新規部活だ、と言われました」
その教員の言い分も理解はできる。
城本は再度、取り外しが可能なポールを立てた。南中のグラウンドは広い。ほぼフルサイズが取れる。
「去年、公式戦で使われました」
ただ、使用の優先権は既存クラブにある。グラウンドが使えない時は近隣の北摂つばさ高校に行ったりしている。
その状況で城本を助ける経験者の顧問もいる。同じ保健・体育教員の菊地雄太だ。31歳。東海大仰星から琉球大に進んだ。高校の同期は同じSHだった湯本睦(あつし)。今はリーグワンのS愛知に所属している。
城本はラグビーが中学生に最適のスポーツだと考えている。
「自分を解放するけれど、抑えもする。発散すると同時に、コントロールも学びます」
ラグビーは格闘技の一面もある。激しいコンタクトを伴うが、殴る、蹴るはご法度だ。
一線は越えない。熱くなりながらも、冷静さも持ち続ける。それが、世に出た時に役に立つ。そのことを多感な中学生に伝えたい。だからこそ、部活動のラグビーにこだわる。
城本が南中に異動した時、東中に残った中学生が茨木市長にラグビー継続の嘆願書を手渡した。結果的に1年経っても顧問のなり手がなく、ラグビー部はなくなった。
大切なのは、結果ではなく、行動である。自分自身で考え、動くこともまたラグビーで学んでゆく。そういう中学生を増やすためにもこの拠点校の存在意義はある。



