【ラグリパWest】レフリーについて。
レフリーについて考えてみたい。
毎日新聞が先月25日、原稿をネットにアップした。昨秋、全国高校ラグビーの三重県予選決勝、四日市工×朝明で誤審があったことを伝えている。毎日新聞は大会主催者だ。その報道の意味は大きい。
試合終了間際、レフリーが四日市工のノックフォワードを見逃した。線審にあたるアシスタントレフリー(AR)のアピールがレフリーに伝わらなかった。2人の間をつなぐインカムが故障していた、としている。
朝明は展開するが、ミスが出る。そのこぼれ球を拾った四日市工がトライと逆転のゴールキックを決める。ノックフォワードをきっちり判定していれば、朝明の連続出場記録は13で途切れることはなかっただろう。
インカムの不調やARのジェスチャー不足を問う声があるが、責任はレフリーに帰結する。ボールがおかしな出方をすれば、疑問を持ち、ARに確かめればよいだけだ。
このところ、レフリーへの不満を色々なカテゴリーから聞く。ある指導者は書いてきた。
<公平性がありません。どんなに下手でも公平なら何も思いません>
試合中に明らかな差異を感じる。それは担当レフリーによっても違いがある。全国大会で急に反則(ペナルティー)を取られ出す。では今まではいったい何だったのか。
反則の数が3倍近くになることがある。昔は反則数が同じくらいでないと下手だと言われた。試合をコントロールできていない証左であるからだ。反則にならないように指導するのもレフリーの大切な仕事だ。
タックルをした直後にその場にい続けると<ノット・ロール・アウエイ>の反則になる。
「社会人と高校生では違ってくるのでは」
そう言った指導者もいた。高校生と社会人では体つきも力も違う。同じ基準で論じられない、というのが主張だ。
同志社に岡仁詩がいた。当時、初の大学選手権3連覇に紺グレを導いた。日本代表の監督もした。20年ほど前に鬼籍に入った。
「レフリーはカテゴリーに分けて、専門的に分担すべきだ」
そう話したことを覚えている。
岡の言葉に沿うように今はリーグワンにはレフリーパネルと呼ばれる専門的に担当する13人がおり、大学にはナショナルレフリースコッドがあり、アカデミーを合わせて12人が指名されている。
三部構成のリーグワンは金銭がかかる。外国人選手はプロだ。勝敗が報酬に直接影響する。そのため、映像判定するTMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)ができた。
大学や高校は直接的な報酬はないが、勝敗で推薦枠や選手に対する奨学金、さらに年間の運営費に跳ね返ってくる。何より、誤審があれば、選手たちやチームの将来に大きく関わってくる。
レフリーの年齢が若くなっている。20代の若い顔ぶれが増えた。最近では高校からその道を志す。それ自体は喜ばしいことではあるが、悪い狐に取り憑かれたような顔で笛を吹いている若い人を見かけたりする。
試合は修行ではない。日々の成果を披露する発表会である。大観衆の前で自分自身の存在を確かめられる。緊張こそあれ、楽しいはずだ。そして、その笛は評価人たちのためではない。両チームのためである。
ベテランの意味はそこにこそある。年を重ね、人生を生き抜いてきたことは余裕につながる。それは思いやりに変わる。
「味(あじ)のある笛がなくなった」
仙台高専・名取キャンパスを監督として率いる柴田尚都の言葉である。還暦を迎えた柴田はまたトップレフリーでもあった。
こういうものがあるらしい。
<レフリー40歳定年説>
不惑から本当の意味で選手とチームに寄り添った笛が吹けるのではないか。引退を決めるのは年齢ではない。走れなくなって、いち早くポイントに寄れなくなった時である。
柴田はレフリーの理想を口にする。
「空気のような存在でいて、それでいて両チームの文化を引き出す」
この文化は<やろうとしていること>、あるいは<特徴>と解される。
その言葉から引けば、こういう形もある。
「担当レフリーを両チームの投票で決める」
上から順番に希望を書き、その名前が合致する人間に頼む。
レフリーを投票制にすれば、特定の人間に依頼が集中する可能は高い。やりくりも大変だろう。ただ、チームの不満はかなり少なくなる。お仕着せでなく、自分たちが選んだレフリーだからだ。
投票制はすべての試合では難しいが、リーグワンのプレーオフ、大学選手権や全国高校大会の4強戦以上、今回の高校の地区予選決勝などはベストを両チームから選んでみる。そういうシステムにしてみるのも面白い。
個人的なレフリーの思い出がある。
高1の時の全国大会予選は7-10で敗れた。終了間際にスクラムで認定トライを取られた。トライが4点の時代である。対戦相手は決勝に進出。2点差で敗れた。
恩師にPRの先輩は「落としていません」と訴えた。グラウンドは雨のあとで、相当ぬかるんでいた。恩師は筑波を出たてで、まだ20代の若さだった。全国出場なら、若いコーチの旗頭的存在になっていただろう。
恩師は、そのレフリーとは話をしなくなった、と後年、話した。私はその試合でタッチジャッジをしていた。還暦に近づく今でも、泥濘の中に崩れ落ちる先輩たちの姿を忘れることはない。
公平性を訴えた指導者はこうも書いた。
<試合を正当に振り返り、これから一緒にいいゲームを作れるレフリーに成長してもらえたら、こんな嬉しいことはない>
レフリーがいないと試合は成り立たない、この指導者は十二分にわきまえている。
気持ちよく勝ち、気持ちよく負ける。それを創造できるのはレフリーだけである。




