コラム 2025.12.19

【ラグリパWest】10シーズン目。フラン・ルディケ [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/ヘッドコーチ]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】10シーズン目。フラン・ルディケ [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/ヘッドコーチ]
日本でラグビーを教え、10シーズン目に入ったフラン・ルディケヘッドコーチ。その10シーズンすべてをクボタスピアーズ船橋・東京ベイのために捧げている。2025-26シーズンのリーグワン開幕戦は12月13日、神戸Sと戦い、33-28で白星発進を決めた(撮影:福島宏治)

 フラン・ルディケは日本でラグビーを教えて10シーズン目に入った。一貫してS東京ベイのヘッドコーチ(監督)である。

 その10シーズン目の開幕戦を白星で飾った。12月13日、神戸Sに33-28。戦いはアウェーのノエビアスタジアム。後半11分から20分間は1人欠けた14人になった。その状況下で前年度2位が3位に貫禄を見せる。

 勝者として臨んだ記者会見は、「こんばんは」と日本語で入った。英語で続ける。
「おめでとうございます」
 開幕戦勝利を自分自身で祝ったわけではない。節目の出場を記録した者たちへの祝福だった。この南アフリカ出身の57歳は分け隔てをすることはない。

 神戸Sの両LO、ブロディ・レタリックとジェラード・カウリートゥイオティが50試合。S東京ベイはFL末永健雄が100試合に至った。カウリートゥイオティと末永はリーグ戦、レタリックは神戸Sでの出場数だ。

 ルディケは通訳の平井一敏と末永のための黒のセレブレイトTシャツを着て会見に現れた。末永は31歳。同志社を卒業後、2017年度に加入した。ルディケが就任して2年目だ。「子飼い」と言っていい。

 ルディケは2016-17シーズンから指揮を執った。チーム名はクボタスピアーズからクボタスピアーズ船橋・東京ベイに、リーグ名もトップリーグからリーグワンに変わった。それでも、ルディケは変わらない。

 10シーズンをこの国で連続して指導したトップの外国人はほぼいない。
「私は長さを考えてコーチングしてきた訳ではありません。このチームのためにやってきただけです」
 自慢とは対極の位置にいる。

 これまで9シーズンの順位は、就任した2016年度のシーズンから12、11、7、コロナによる不成立を挟み、3、3、優勝、6、準優勝となっている。

 優勝から翌年度、6位に落ち込んだ理由を石川充が話してくれたことがある。当時、現場トップのチームディレクターだった
「初めての優勝でチームとしてどう過ごしていいか分からない部分がありました」
 45年ほどをかけて日本一の座についた。たくさんの祝賀行事を断るのは難しい。創部は1978年(昭和53)である。

 その石川と、あとをGMとして継いだ前川泰慶への感謝をルディケは口にする。
「石川さんやマイキーが予算を持ってきてくれるからチームは成り立っています」
 マイキーは前川の愛称。ルディケは組織の成り立ちを理解している。

 S東京ベイはクボタの部局のようなものだ。GMは社内では課長級。その所属はスポーツリレーション部だ。部長の佐々木博明がおり、トップのラグビー部長として近藤渉がいる。近藤は常務執行役員である。社長の北尾裕一も神戸S戦のスタンドに姿を見せた。

 GMの前川は40歳。同志社ではバックファイブをこなした。末永の先輩にあたる。現役引退は2016年。ルディケの着任と同時にフロントに回った。広報や採用を経験し、石川のあとを受けたのは2024年。その足跡はルディケとともにある。

 その10シーズンを思い起こす。
「もう、ひざを突き合わせて話をすることもないですけどね」
 ルディケとはこれまで、信頼関係を醸成してきた。「今更」である。

 ルディケの際立った長所を前川は言う。
「器の大きさでしょう。人を包み込みます」
 日本の偉人でたとえれば、その恰幅のよさも含め西郷隆盛か。明治維新を主導し、出身の薩摩は元より、敵対した幕臣の勝海舟などを含めて多くの人々に慕われた。

 ルディケの度量の広さはその前歴が影響しているのだろう。プロのコーチになる前の20代は教員として絵画や土木を教えていた。人作りに時間がかかるのは知っている。クボタも待てた。農業機械などモノづくりの会社らしい。いいモノは簡単にはできあがらない。

 ルディケはまた敬虔なクリスチャンでもある。宗教を持っている人は芯が通る。強い。そして、起こった出来事や他人に寛容だ。自分もまた許されている。許すというのは指導者にとって不可欠な態度でもある。

 開幕の神戸S戦では危険なプレーによる退場者を責めなかった。その上で、手柄を人に譲る。試合を決めた後半30分、WTB木田晴斗のトライはFBショーン・スティーブンソンとの間でサッカーのワンツーよろしくパスで奪った。ルディケは言った。
「田辺がよく教えてくれています」
 コーチの田邉淳を持ち上げた。

 勝因もひとつに絞らない。
「ディフェンスもスクラムもです」
 守備のコーチはスコット・マクラウド。タックルラインの内側は飛び出し、外側は数的優位を作らせないよう返りを待った。スクラムは新任コーチの山村亮が担当する。HOマルコム・マークスを中心に耐えた。

 開幕白星を決め、S東京ベイは2回目の優勝に向け、好スタートを切った。気は早いが、ルディケが来シーズンもこの職にとどまれば、「恩人」と言うロビー・ディーンズの記録に並ぶ。ニュージーランド出身のディーンズは埼玉WKの監督を11シーズンつとめた。

 ルディケはS東京ベイに合流する前、スーパーラグビーのブルズで監督を8シーズンつとめた。そこではディーンズの教えを落とし込んだ。クルセイダーズの監督だったディーンズはルディケに施設を見せ、指導の内容を伝えた。20年ほど前のことである。

 その結果、ブルズは2009年から南アフリカのチームとして初めて連覇を記録した。そこに導いてくれたディーンズの日本における記録に並ぶ。
「それは今、論じるべきことではありません」
 ルディケは先を見ない。大切なのは今。その積み重ねが10シーズンになった。ぶれることはない。それはまた、ルディケの魅力のひとつでもある。

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