自由さを残して規律を植え付ける。吉田有佑、帝京大で学び直し。

これを良薬とするのだろうか。大学選手権4連覇中の帝京大ラグビー部は6月22日、早大に敵地で35-26と惜敗した。
関東大学春季大会Aグループの最終戦。ここまで5戦連続で先発した3年生WTBの吉田有佑は、こう述懐した。
「流れが来た時にスコアしきれなかったところ、早大さんに流れが行った時にディフェンスで等で粘れなかったところが(スコアに繋がった)。完全なる反則というより、グレーなプレーで笛を吹かれてしまったことも大きかったです。ホワイトにできないところが、自分たちの甘さでした」
個人技はアピールした。前半22分には、左タッチライン際で複数のタックラーを引き寄せオフロードパス。身長185センチ、体重89キロの恵まれたサイズと推進力を活かし、スコアをお膳立てした。続く25分には自らもフィニッシュした。
本人のスタンスはこうだ。
「フィジカルが強み。いいキャリーをしてトライを獲り切ったり、FWにいいボールを出したりしたい。また、自分は決してラグビーがうまい選手ではないと思っています。帝京大が大事にしている泥臭さでチームをリードしていけるようにもなりたいです」
幼稚園から小、中、高と、東京の成城学園にいた。会社員の父がOBだったからだ。敷地は緑に包まれ、小学校の授業には「遊び」の時間があった。後に規律を重んじるクラブの寮へ入った青年は、甘美な思い出をユーモアたっぷりに相対化する。
「自由に育ったが故に、ルーズというか、社会に出るにあたって必要な知識が足りていなくて…。そのよいところは残しつつ、締めるところを締めるという部分を帝京大で学んでいます」
学校生活のほか、真剣勝負のラグビーにもはまった。
小学2年から世田谷ラグビースクールに通い、やがて成城学園中の部活に入った。学内では自身の年代に好選手が揃ったのもあり、高校では都大会の上位を争うようになった。3年時には全国大会予選の決勝に進んだ。
「ラグビーをやったことのない人も集まるチーム。どれだけラグビーを好きになってもらうか(が大事)。また幼稚園から一緒にいるので、仲の良さ、阿吽の呼吸も強みだと思いました。朝から晩まで楽しくラグビーしようと考え、中高6年間を過ごしました」
帝京大へ進むのは予定と異なる。
大学進学にあたっては強豪校を受験し、不合格ならば内部進学してスパイクを脱ぐつもりでいた。ところが志望校に縁がなかったところで、帝京大の関係者から「(競技を)辞めるならウチに来ないか」とラブコールを受けた。路線変更を決めた。
「成城学園では、弱小校が強豪校を倒して花園(全国)に行くことに憧れを抱いていました。チャンピオンチームではどんな感じでラグビーをすることができるんだろうと興味がわきました」
暮らしは一変した。全国の俊英が日々、寮とグラウンドの間を30分かけて歩いて朝の練習に臨む。共用スペースでは、当時4年で後に日本代表となる江良颯、奥井章仁らが掃除をしていた。
クラブの謳う「脱体育会系」の文化へ直に触れた吉田は、恐縮しながら毎日を送った。
「4年生がクラブハウスなどで掃除をしている。そこを僕たちが素通りするようにしてグラウンドに行くのです。頭を下げずにはいられないです」
日本一を命題とするグループでレギュラー争いをすることで、卒業後もトップレベルで揉まれる可能性を掴みつつある。いまの目標を聞かれ、「帝京大でレギュラーの座を勝ち取って大学選手権で優勝を。まだ自分はその先を見られる選手じゃないと思うので、目の前の1戦、1日を大事にしたいです」と応じる。