コラム 2025.06.26

【コラム】脇腹がうずいた初夏の候。

[ 向 風見也 ]
【コラム】脇腹がうずいた初夏の候。
マオリ・オールブラックス戦でゲーム主将を務めるFL下川甲嗣(撮影:福島宏治)

 6月はうずいていた。

 1日は東京・国立競技場で、ジャパンラグビーリーグワンのプレーオフ決勝に触れた。東芝ブレイブルーパス東京2連覇の瞬間を見届け、スタンド下で選手の声を集め、複数媒体に即日入稿を終えた折には夜が更けていた。

 楕円球愛好家の待つ酒場へ寄れば、思わぬ豪華な来客もあり解散は1時過ぎになった。都内の山間部と呼べるエリアにある住まいへは帰りづらく、渋谷駅周辺のネットカフェで滞在したあたりから様子が変わった。

 始発で帰宅してシャワーを浴びるや、仮眠もとらぬまま所用のため都内のラグビーマガジン編集部へ出向いた。その足でリーグワンアワードの報道席へついた頃には、すでにグロッキー状態である。

 仕事を終えたら帰宅すればよかったが、そうはいかなかった。その夜は、数少ない友人との会合が予定されていた。

 会場は新宿だ。ネットカフェを出てから半日強でアルコールを摂取し始め、あろうことかたまたま隣にいた2人の専門学生とカラオケボックスになだれ込んだのがまずかった。

 終電間際にその場を去る折、財布入りのバッグ・イン・バッグを置いていったのだ。

 ポケットに入ったスマートフォンのケースに交通系ICカードを入れていたため、電車で寝ているうちはそれに気づかなかった。

 最寄りから1つ外れた駅で降りたところで、同席者たちからのメッセージと不在着信に気づいた。結局、その日に初対面の2名が鞄ごと私鉄の新宿駅に預けてもらうことになるが、帰路に就くべく駅を出たところからが悲運の始まりだ。

 手元のケースから肝心の「PASMO」が抜け落ちていたため、改札を出るのもひと苦労だ。外へ出て慣れぬエリアを歩いていたら、何かに引っかかって地面に倒れてしまう。

 左わき腹を強打。あたりに相当な声を響かせてしまう。それだけではなく、ちょうどその様子を知人に見つかってしまうではないか。

 激痛と羞恥心にさいなまれながらタクシーに転がり、眠る家族をLINE通話で起こし、下車時の運賃を玄関に置いてもらった。朝を迎えて財布を確保したところ、ある年長の同業者からLINEが届いた。

<財布あった?>

 もう、ばれていた。

 左のあばらは横になったり、体勢を変えたりするたびにずきずきする。近隣の整形外科で「骨に異常なし」と診断されるも、湿布やバントでの補強をさぼったら痛みがぶり返すループはいまなお続く。

 自業自得のトラブルを抱えて続けたのが、日本代表の関連活動のカバーだった。

 エディー・ジョーンズ ヘッドコーチが約9年ぶりに復帰して2シーズン目のチームは、6月28日に「JAPAN XV」名義でマオリ・オールブラックス戦と激突。7月5、12日の対ウエールズ代表2連戦は体制の運命も左右すると見られる。

 本格的な活動開始に先んじて長野・菅平であったのが、ボーダーライン上の面々による候補合宿だ。

 5日から計3日あった取材機会へは2日目の6日から参加し、直近のリーグワンで新人賞に輝いた北村瞬太郎選手、やがて正スコッド入りのチャーリー・ローレンス選手らに即席のインタビューができた。まもなく『ラグビーリパブリック』をはじめ複数媒体にリポートした。

 その間にもジョーンズ ヘッドコーチが宿泊施設のサウナから出てきたところに鉢合わせしたり、同業者と穴場の居酒屋を見つけたりと愉快に過ごし、最終日には、今季から本格参加となる伊藤鐘史アシスタントコーチの臨機応変ぶりに驚いた。

 陣営は長野県内のラグビースクールの生徒を集めてクリニックを開いており、伊藤コーチはタックルのセッションを主導。学年ごとに3ブロックにわかれたうちの低学年組がコンタクト未経験者も混ざっていたとわかるやタッチフットに切り替えた。アドリブでメニューを変えるあたりに、職歴5年で培った柔軟性をにじませた。本人は事もなげだった。

 下山から4日後の12日にはメンバー発表会見があり、何とジョーンズヘッドコーチから「ムカイサン」と名指しされるではないか。

 とういうのも、2部構成だったこの機会の「第1部」でこちらがした質問にやや語気を強めた感があり、かつ、「第2部」で他の記者の問いへやや熱を帯びる。

 その際、件の「第1部」の流れを引き合いに出そうとして、通訳の佐藤秀典さんと「失礼。さっきの彼は、名前を何と言ったかね」「どの人物を指していますか」「あの前列の…」といった風なやり取りを経て、「そう、ムカイサンからの質問にもあったが…」と熱弁を重ねた。

 日本ラグビーフットボール協会の公式YouTubeには、そんなやり取りなどアップされるはずもなかった。

 16日からの宮崎合宿では20、21日の模様がメディアに公開され、負荷のかかった状態での実戦練習が繰り広げられていた。

 トレーニング施設はホテルと一体型で、市街地からは離れたエリアにある。

 初日、業務を終えて、ホテルから宮崎駅周辺までの1時間に1本あるかないかのバスに間に合うべく通路で小走りになる。

 トレーニングを終えてゆっくりと歩いていた、2人の選手を追い越す。

 足元の、くぼみのようなものにつま先をひっかける。

 するとどうだ。

 2人いたうちの1人、2023年ワールドカップフランス大会出場のファカタヴァ アマト選手が「危ない!」と日本語で声をかけてくれた。

 2日間を通し、多くの戦士から代表戦への意気込み、代表入りに伴う高揚感、いまの取り組みの概略について聞くことができた。

 防御リーダーの下川甲嗣は、オブザーバーとして合流したギャリー・ゴールドが教える守りの組織面について語ってくれた。昨秋に大量失点を喫した際は「スキル」「土台のフィジカル」「システムでセイムページが見られていなかった」ことなどが課題だったと述べ、ウエールズ代表戦までに一枚岩になると宣言した。

 そういえばこの人、東京サントリーサンゴリアスの一員としてリーグワンに参戦中、肋軟骨を痛めながらプレーした時期があったという。しかもそれは、タックルまたタックルのハイパフォーマンスを披露していたタイミングと重なっていたという。

 周囲からそう聞いていたのを確認する好機かと思い、「あの、もし広めたくない話であればお答えいただかなくてもいいのですが」と前置きして尋ねた。

「はい。(痛み止めの)注射を打ってもらって(グラウンドに出ていた)。でも、そういう選手は、ラグビー界では普通だと思います」

 淡々とした口ぶりに驚いていたら、一緒に下川選手を取り囲んでいて財布の件を知る先輩が「彼はこの間、酔っぱらって転んで脇腹を痛めたんです」とまさかの補足。下川選手が優しげなトーンで「あ、そうなんですか」と反応したのが、余計に恥ずかしかった。

 身体の一部がうずく梅雨に再認識した。何かに出くわすために記者をしている。

【筆者プロフィール】向 風見也( むかい ふみや )
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。

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