速くジャパンに絡みたい。明大・竹之下仁吾は人に優しく自分に厳しい。
締めくくりを彩った。
明大ラグビー部2年の竹之下仁吾は11月3日、東京・秩父宮ラグビー場にいた。関東大学対抗戦Aの第5戦目へ、後半28分から出場していた。ポジションは最後尾のFBだ。
最後の見せ場を作ったのは後半ロスタイムである。
まずは対する筑波大が、自軍のエリアからパスをつないで明大の防御を破る。
快速WTBの大畑亮太がスワーブを切り、ハーフ線を破る。明大側から見て左へ膨らみ、トライラインとの距離を詰める。
ここで大畑を追走したのが竹之下。中央御方向への走路を塞ぎ、タッチライン際へ追い込む。自陣22メートル線付近で捕まえる。倒す。向こうの援護役が到着するまでに起き上がり、球に絡む。
ペナルティーキック獲得。そのまま31-0での完封勝利を決めた。
対抗戦での開幕5連勝にもつなげたこのシーンを、本人は穏やかに振り返った。
「大畑さんが抜けきた瞬間に『うわっ』と。足が速いのはわかっていたので。『行けるかな?』という思いはありましたけど、向こうが80分間プレーしていたのもあって、追いついた…と」
ノーサイドを経て、身体につけていた計測器を見返す。好カバーを披露した瞬間は、自己最高速度を更新できたようだ。
「あそこで更新できて、(ランナーを)止めて、0失点にできた。ひとつ、成長できたし、チームにもアピールできたかなと」
身長180センチ、体重86キロとサイズに恵まれ、空中戦での競り合いでも長ける。豊中ラグビースクール時代から、コーチが高い弾道のキックを蹴ってもらっては捕るのを繰り返してきた。制空権を握る秘訣を体得した。
「集中していたら、いけちゃいます。ずっとボールだけを見て、そこに、行くみたいな感じです。いいジャンプして、いいところでキャッチする。周りを見てしまうといろんな情報が入ってしまい、一瞬、戸惑うというか、落下地点を予測できないことがあるので」
兵庫・報徳学園高3年時は高校日本代表入り。最後の砦としての資質が買われるうえ、仲間にはプレー以外でも好印象を与えている。
海老澤琥珀。今年は夏と秋に日本代表の練習生となったシャープなWTBは、高校時代からの同級生である竹之下を「根っからのいい奴」と見る。印象的な出来事を明かす。
「高2か、高3のどっちの時です。めちゃくちゃきつい練習中、足首を痛めたことがあって。皆、自分のことで精いっぱいなところ、(竹之下は)こっちに氷を持ってきてくれた。そして、すぐに練習に参加していった。…あの感動は、一生忘れられないです。仁吾は多分、覚えていないと思いますけど」
この件について、竹之下本人は「僕らにはマネージャーがいない。選手の誰かが怪我したら別な誰かが水や氷を持っていくという文化があって…」と述べるのみ。他者への優しさを自慢することはない。
自分へは厳しい。
今回の取材に応じたのは11月8日。秩父宮での帝京大戦を9日後に控えていた。早朝の全体トレーニングの後、竹之下は空中戦とキックの個人練習を重ねていた。
特にキックに関しては、最近のセッションでいい感触がなかったからと念入りに繰り返していた。
途中から、蹴り込む姿を同僚にスマートフォンで撮影してもらった。その場で確認し、改善の糸口を探った。
課題と向き合う習慣は「1年生の時から。授業がある時はすぐに(寮に)帰るんですけど」。政治経済学部では初年度に首尾よく単位を取ったおかげで、今年は「1限を入れない」でスケジュールが組める。
上には上がいると知っている。7月には20歳以下(U20)日本代表としてU20トロフィーに参加も、戦いのさなかにU20スコットランド代表に接点で圧倒された。10-46。上位大会であるU20チャンピオンシップへの昇格を逃したのを受け、こう述べた。
「全然、強度が違うというか、シンプルにフィジカルが強かった。僕ら自身がうまくいかず、向こうのプレッシャーもあり、普段できていたようなことができなかった。下のカテゴリー(大会)であれだったので、(U20チャンピオンシップの)ニュージーランドやフランスはもっと上なのかな…って」
大会終盤にはスコットランドと日本の両軍で所定の場所へ集まり、ウェアを取り換えた。
「サイズが合う子と交換して」
いつか代表戦で再会できたら、感慨深いだろう。
いまは大学日本一を目指す。達成すればチームにとって2018年度以来14度目だ。
同時に自身の出世も目論む。海老澤のように日本代表に絡んだり、国内リーグワンのクラブでプレーしたりできるようになりたい。
「(同世代の代表帯同は)いい刺激というか、早くそのレベルに行かないとだめだな…という感じです。まだ実力が足りていないので、それを、上げていく」
人に優しく、自分に厳しくあり続け、競技人生を豊かにする。17日には、秩父宮での帝京大戦でベンチ入り。23番をつけて手番をうかがう。