東洋大のSOはタックルができなきゃ。天羽進亮が身体で示す決意。
いつもどこかを痛めている。東洋大ラグビー部3年の天羽進亮は、福永昇三監督から「身体を張って引っ張っている」と褒められる。
身長174センチ、体重83キロ。パスやキックで周りを動かすSOのポジションに入りながら、身体衝突を厭わない。
10月6日、茨城・流経大龍ケ崎フィールド。加盟する関東大学リーグ戦1部の第3戦目に先発した。対する流経大の大型NO8、ティシレリ・ロケティのハードタックルを上半身に食らい、その場に伏せながらも、最後までフィールドに立った。27-24で今季2勝目を飾った。こともなげに言った。
「(攻撃中は)流経大の選手から『天羽、見た! 天羽、見た!』という(警戒する)声が。注目されているのかな、と。嬉しいですね」
続く19日には、群馬・森エンジニアリング桐生スタジアムで6連覇中の東海大を破った。下部から昇格して臨んだ2季前以来となる快挙だ。
さらに27日には、埼玉・セナリオハウスフィールド三郷で関東学大を56-26で制した。前半13分、深めのラインを操って勝ち越しトライを演出した。プレーヤー・オブ・ザ・マッチとして表彰された頃には、顔に傷を作っていた。献身の証だ。
いったいなぜ、臆せず身体をぶつけられるのか。その理由に本人は、入学時に正SOだった卒業生の名を挙げた。
土橋郁矢。現在リーグワン2部のレッドハリケーンズ大阪にいる23歳だ。
29シーズンぶりの1部復帰を叶えた2022年度のクラブで副将を務め、優勝する東海大などを倒して大学選手権初出場を果たしている。
当時のサイズで身長180センチ、体重86キロ。ロングキック、タックル、何より練習量で尊敬を集めていた。
土橋の在籍時から1軍に絡んだ天羽は、翌年度にレギュラーとなってからも「郁矢さん」の背中を追った。
「郁矢さんみたいに身体を張らないと、東洋のSOはできない」
徳島県出身。父は地元の脇町高でラグビーを教えていたため、子どもの頃から県予選のゲームを見ていた。中学まではサッカー少年も、高校からはラグビーに転じるつもりでいた。
進路を選ぶ時期になると、城東高のラグビー部でトレーナーをする稲垣宗員氏に「サッカーよりラグビーだよ」と熱心に口説かれた。
利用した入試方法は、当時あった特色選抜。スポーツ推薦に近いシステムだ。競技未経験ながら、限られたその枠で入学と入部を叶えた。
入学直前からわくわくした。
年度が改まる3、4月に、埼玉・熊谷ラグビー場での全国選抜大会を見たからだ。
折しも新2、3年生は14名のみ。本来なら試合はできなかった中、他部から助っ人を連れて予選プール2勝1敗と奮闘した。楽しいドラマを予感させた。
城東高のクラブは、自主性と助け合いを是としていた。天羽もその仲間に入ると、「人数が少ないからこそ『ああしよう、こうしよう』と選手だけで話していた」と独自の文化に浸ることができた。
ぎりぎりの台所事情ながら、3年間、冬の全国へ行った。
「ひとりでも怪我人が出たら、そのポジションをしたことがない人が代わりに入る。その分、(全員に)リーダーシップが求められる」
母校で感じた熱はいまも残る。天羽が東洋大の公式戦でメンバー入りした時、1年先に卒業していた齋藤壮馬から「頑張って」と連絡がきた。実際に応援に来てくれたこともある。
齋藤は途中入部だった。さながら少年漫画の流れだった‘19年度の選抜大会で、テニス部からサポート参加。翌’20年度に転部していていた。それ以前の出席日数の関係で、在校期間は4年に及んでいた。もっとも、ラグビー部はさながら「第二の実家」でリラックスできたという。
温かいつながりの中に、天羽はいる。
「他の先輩にも、熱い人が多いです」
いまの目標は、2シーズンぶりの大学選手権に出て優勝することだ。「そのためにも、SOとしての判断を練習から強化する」と日々を大切に過ごす。