ガラスのエース、再起誓う。ベン・ポルトリッジ[相模原DB/WTB]
ケガさえなければ、昨年のワールドカップ・フランス大会で桜のエンブレムをつけていたかもしれない。
そんな"ガラスのエース"が三菱重工相模原ダイナボアーズにいる。
過大評価ではない。同僚のSH岩村昂太主将は、そのウィンガーを「ポテンシャルが本当に高い」と認める。
ベン・ポルトリッジがその才能の一端を見せたのは、2月24日の静岡ブルーレヴズ戦だ。2トライを奪い、勝利に貢献した。
まずは前半9分、トライをアシストする。SOジェームス・グレイソンの飛ばしパスを受け、右タッチライン際を猛スピードで駆け抜る。こちらもスピードで鳴らすトイメンのマロ・ツイタマを振り切って、グレイソンのトライを演出した。
第4節以来となる今季2本目のトライは、後半2分。体にすら触れさせない快速を飛ばした。30分には拮抗した展開を打ち破る値千金のトライを挙げる(この日初めて1トライ1G以上の差をつける)。
トライ後にはお馴染みの猪ポーズ(写真)を見せ、ファンを喜ばせた。
トライの感想を求めれば、「(日本語で)久しぶり!」と表情を崩した。
「久しぶりにトライを取れて嬉しかったです。今週は良い練習ができていたし、今日自分が何をしなければいけないかが明確でした。ボールをもらった時にスペースがあった。強みを生かすことができました」
最大の武器は言わずもがな、スピードである。タイ人の母のもとで生まれ育ったニュージーランドで培われた。
生まれつき、足は速かったという。高校の途中まで、陸上とラグビーを両立していた。
「夏は陸上、冬はラグビーでした。陸上の200㍍ではNZで優勝したこともあります。2007年、16歳以下の全国大会でした。ただ、ラグビーはそんなに長く走らないから、80㍍や100㍍も練習してた。でも、どちらも100㌫で両立するのは難しくて、17歳くらいからラグビーにコミットしました」
来日は2015年。オークランド大に学び、NPC(国内選手権)のノースハーバーでプレーしていたが、同チームのコーチだった栗田工業のスコット・ピアース(当時/現・セコムHC)に誘われた。
「1年プレーして、日本のラグビー、日本という国が好きになりました。できる限り長くやりたいと」
加入から2年はトップイーストに所属。2季で40トライ(公式戦20試合)と、驚異的な記録を残す。3年目の2018年には、セブンズの候補合宿にも呼ばれた。
しかし、来日5年目の2020年度にダイナボアーズへと移籍してから、ケガに苦しみ始める。
公式戦の出場数が4シーズンで「12」にとどまっているのは、長期離脱が何度もあったからだ。
入団1年目(トップリーグ2021)は出場なし。アキレス腱を断裂した。
ディビジョン2スタートとなったリーグワン1年目は、開幕から5試合連続で先発。9本ものトライを挙げ、トライ王争いを独走していたが(そのシーズンの最多は11本)、コロナによる試合中止明けの第7節(花園L戦)で前十字靭帯を断裂した。
昨季は第3節の埼玉ワイルドナイツ戦で復帰。しかし、その試合で前十字靭帯を再受傷。またしても、グラウンドに立てない日々が始まった。
それでも、ポルトリッジは明るく振る舞っていたという。
「ポジティブにいるしかなかった。そうでなければ負のスパイラルに陥ってしまう。自分ができることはリハビリのみ。ラグビーに戻れる時を楽しみに、一生懸命努力するだけでした」
そして31歳で迎える今季。第2節から登場し、ここまで5試合に出場、先発している。
「スピードだけは落とさないように努力してきました。それは僕の唯一の強みかもしれないので。できることを常にやりました」
奮闘の日々は、通訳のピックン ダグラスの目にもまぶしく映った。
「こんなにもやるのか、というくらい努力していました」
ポルトリッジは、桜のジャージーへの思いも口にする。
「W杯(フランス大会)前は正直、自分も挑戦しようと思っていました。ただ、ケガでその挑戦すらもできなかった。年も取り始めてますが、自分のできることをすべてやり、もし(今後)選ばれたら、もちろんそれは光栄なことです」
「超速ラグビー」を掲げる、エディー・ジョーンズHCのお眼鏡にかなうか。