コラム 2023.10.11

【ラグリパWest】同志社のPG。

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】同志社のPG。
同志社大は大学選手権優勝4回を誇るが、その名門が1962年の関西リーグ発足以来、2回目の開幕3連敗を喫した。写真は10月1日の関大戦。後半20分、トライを奪われ、ゴールも決まり、29−21と追い上げられる



 西の雄、同志社が沈んでいる。ラグビー大学選手権は関西最多の優勝4回を記録する。

 この秋、関西リーグでは開幕3連敗を喫している。本格的なリーグ戦発足とされる1962年から数えれば2回目のことだ。

 前回は5年前だった。この時は後半、4連勝と巻き返し、8チーム中5位でシーズンを終えた。今回は京産大や天理といった優勝候補との対戦を残している。

 直近の3戦目は10月1日、関大と対戦した。スコアは29−31(前半19−7)。前年3位が同8位に最大15点差を追いつかれ、逆転負けする。

 この試合の終了間際、2点を追う同志社は敵陣でPKを得る。しかし、PGを狙わず、タッチに蹴り出し、ラインアウトを選択した。最後はインゴールを割れなかった。

 試合後、スポーツ報知の記者・田村龍一が質問した。田村はラグビー経験者である。
「なぜあそこで狙わなかったのか?」
 主将の山本敦輝が答えた。
「距離がありました。キッカーと話をして、リスクがある、ということになりました」

 そのことで思い出した話がある。話者は栗原徹。現役時代、日本代表のFBであり、キッカーだった。栗原は20年前のW杯フランス戦に出場する。PG機に同じように距離を理由にためらった。その時、SOのアンドリュー・ミラーが「俺が蹴る」とボールを奪い取った。3点は加算されなかった。

「その時、ミラーに教えられました。PGのチャンスを得たら、キッカーはただ蹴ればいい。結果を思い悩む必要はないのです」

 仮にキックが入らず、敗戦を迎えても、責任はキッカーではなく、そのような接戦に持ち込まれたチーム全体にある。29−51の敗戦の中、栗原は真理を悟る。当時の所属はサントリー(現・東京SG)。同志社監督の宮本啓希の先輩である。

 同志社主将の山本は今年9月号のラグビーマガジン誌上で話している。
<去年は言われていることをただやっている感じがしました。(中略)。同志社と言えば自由、自主性と教わってきました。それとかけ離れている感じがしました>

 同志社ラグビーはその通り、「自由」である。半世紀も前、「タテの明治」、「ヨコの早稲田」とそれぞれFWとBKの強みを枕詞とされた。その時代、同志社を率いた岡仁詩は言った。
「形がないのが同志社ラグビー」
 形にこだわらず、その年々の強みを知り、その部分を相手にぶつける。

 そして、1982年度からの大学選手権で当時では最長となる3連覇(19〜21回大会)を記録した。その中心には、後年「ミスター・ラグビー」と呼ばれるCTBの平尾誠二がいた。同期はNO8の土田雅人。今は日本ラグビー協会の会長をつとめている。

 当時も学生が中心だった。メンバーも基本的には主将ら幹部が決めていた。部長や監督など時々で肩書を変えた岡の考え方は<やるのは学生や>。社会に出る準備段階として、自治の精神を磨く意味合いもあった。

 昨年、同志社は関西リーグの終盤、幹部が「自分たちでやらせてほしい」と首脳陣に申し入れたという。最終戦、力上位と見られていた天理に47−19と大勝し、勝ち点5を叩き出す。土壇場で近大と関西学院に逆転し、大学選手権出場の3位に入った。

 結果を残した、ということで今年もそのやり方を踏襲しているようだが、4年生が抜け、リーダーもチームの顔ぶれも変わっている。3連覇した時は、平尾や土田ら類まれなリーダーがいた。日本代表の監督を経験した岡もご意見番として控えていた。

 当時に現役だったある同志社OBは言う。
「今は時代が違う。ラグビーも違う」
 同志社のあとに帝京が大学選手権で9連覇を成し遂げた。監督だった岩出雅之は顧問として今でもチームを引き締め、監督は教え子の相馬朋和が担っている。

 同志社とは逆に開幕3連勝と京産大、天理と並ぶ関西学院もラグビーに対するアプローチは似ている。学生主体である。
「でも、学生主導とは違う」
 前監督の牟田至は言ったことがある。

 学生主導なら、大人の意見が入らない。その大人には学生以上に人生を生き抜いて来た歴史、言い換えるなら「知恵」がある。前後半を通した戦い方、追い上げられた時や逆転された時の心の持ち方、最後の勝ち切り方などそれらはすべて知恵から生まれ出る。

 その知恵以外にも、実務としての大人の役割を伊藤紀晶が以前、語ってくれた。伊藤は宮本の前のヘッドコーチ(監督)だった。
「同志社は学生がその年々で好きなラグビーをすればいい。コーチの仕事はそれが実現できるフレームを作ってあげること」
 フレーム=外枠はラグビーのベースであるフィットネスであり、コンタクトである。

 ただただ走り続けること、重いものを持ち上げることは単調できつい。そのトレーニングをさぼらず、前向きに取り組める者が何人いるのか。主将はよくても、副将は、同期の4年生は、新人たちは、全選手ができるのか。監督やコーチの存在意義はそこにもある。

 取材をすると、よく耳にする言葉がある。
「同志社と初めて公式戦で当たった」
「同志社に初めて勝った」
 関西の大学チームは、すべてこの紺グレジャージーを物差しにでき上っている。

 創部は1911年(明治44)。日本では慶應に次ぎ、現存するチームでは2番目に古い。天理監督の小松節夫、立命館ヘッドコーチの鬼束竜太、今回のリーグ戦で同志社を破った関大監督の佐藤貴志はみなOBである。

 だからこそ、同志社は世の移ろいに関係なく、強くあらねばならない。そう思うのは私だけだろうか。

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