【ラグリパWest】 勝負勘。南藤辰馬 [元 花園近鉄ライナーズ/WTB、FB]
25歳の片岡涼亮は、7つ上の「ナンさん」こと南藤辰馬(なんとう・たつま)の凄みを知る。そのひとりである。
2人が属する花園近鉄ライナーズ(花園L)は4月14日、ホームの花園ラグビー場でコベルコ神戸スティーラーズ(神戸S)と戦っていた。トライを奪われ、27-33と逆転される。
直後のキックオフ、WTBの南藤は大外から一直線にボールを追う。177センチ、86キロの体を相手の下半身に絡ませ、倒した。
ケガでスタンド観戦だった片岡は語る。
「あそこはいくだけではダメ。バシッと止めたい。それをナンさんがやりました」
神戸Sを勢いに乗せない。食らいつかないと勝ち目はない。そのためには試合再開直後。南藤は勝負所をわかっていた。
そのタックルから11分後、花園Lはトライを奪い返し、ゴールキックを決める。34-33。サヨナラ逆転勝ち。リーグ戦唯一の白星を挙げる。
「結果論ですけど、あそこでナンさんがいったから、勝利につながりました」
片岡は南藤とポジションがかぶる。そこにライバル視はない。尊敬がある。
その南藤が現役引退を決めた。結果的にこの神戸S戦がラスト・ゲームになった。
「思い出深い試合になりました。自分のキャリアで今まで14連敗はなかったので」
涙はない。黒目のぱっちりした男前の顔をほころばせる。
入部は2013年4月。デビュー戦は同年9月14日のコカ・コーラ戦である。WTBで先発する。スコアは34-14だった。
「勝ったけど、特段、活躍もしませんでした」
11年間の公式戦出場は67の数字が残る。
自信のあったプレーを尋ねてみた。
「コミュニケーションですかね。走りがよかったらもっと試合に出ていました」
BKスリーとして驚く速さも強さもない。ただ、見る、聞く、経験を加え予測する。そして伝達する。選ばれるため、その部分を研ぎ澄ます。その表れがあのタックルである。
南藤は今季18試合中半分に出場した。先発は神戸S戦を含め7試合。リーグワンのディビジョン1(一部)に昇格したこのシーズンである。肩甲骨を痛めたリハビリに時間がかかったため、6試合目からの出場になった。
余力を残しながら、32歳で引退する。
「実力ですね。ディビジョン1のレベルの高さも感じました」
WTBは3年目の片岡や2年目の木村朋也、新人の林隆広が伸びてきた。FBには竹田宜純(よしずみ)や祐将の兄弟。日本代表のセミシ・マシレワもいる。みな自分より若い。
紺×エンジのチームへの感謝は尽きない。
「めっちゃ楽しかった。人に恵まれました。突出したプレーがないのに使ってもらえた」
引退後は社業に専念する。南藤は社員選手。勤務先は近鉄不動産である。
南藤はその不動産を下に置く近鉄グループホールディングスの総合職として入社した。
「仕事で活躍できるように、これからさらに勉強していかないといけません」
総合職は150近いグループ会社を束ねる社長になれる資格を持っている。
ホールディングス、そして当時の近鉄ライナーズからは勧誘を受けた。
「関西に帰れるし、強かったので」
出身は京都。大学は帝京だった。南藤が入る2年前はリーグワンの前身であるトップリーグでチーム最高の5位に入っていた。
帝京は南藤の入学と同時に大学選手権最長となる9連覇が始まる。公式戦出場は3年から。ここで近鉄に誘われる。
「3年は対抗戦にはほとんど出ました」
4年時の大会は49回(2012年度)。決勝では筑波を39-22で降した。南藤はリザーブ。後半16分、WTBの小野寛智と交替出場する。小野は同期で副将でもあった。
帝京には冬の全国大会V4の伏見工(現・京都工学院)から入学した。
「関東でチャレンジしたかったのです」
伏見工は2年時のみ全国大会に出場し、準優勝をする。87回大会だった。南藤は4試合にWTBとして先発する。ただ、7-12と敗れた東福岡戦は出場していない。
「メンバーはみんな、3年生になりました」
ひとつ上には横浜キヤノンイーグルスのCTB南橋直哉らがいた。南橋も大学は帝京である。
伏見工につながるラグビーを始めたのは中1である。神川(かみかわ)だった。
「それまでやっていた野球の体験入部は人気でした。ラグビーは空いていました」
顧問の花岡武志は伏見工OBだった。
南藤は3つ下の坂手淳史に中学入学時にラグビーをすすめた。「はい」と応じる。
「彼は生まれた時から知っています。親同士、仲がいいんです」
坂手がそれまでやったバレーボールは神川になかった。南藤がいなければ、日本代表キャップ33、埼玉パナソニックワイルドナイツの主将HOは出なかったかもしれない。坂手は大学も後輩になる。
中高大、そして社会人と続けたラグビーは21年に及んだ。この競技と完全に切れることはない。次はレフリーに移る予定だ。
「やってほしいなあ」
昨夏、滑川剛人(なめかわ・たけひと)に言われた。滑川は大学のひとつ先輩で、日本ラグビー協会の最上、A級を保持する。
滑川自身もトヨタヴェルブリッツでSHだった。トップレベルでのプレー経験のある人間がレフリーに転身すれば、選手の気持ちが理解でき、試合を円滑に流すことができる。
南藤は現在、レフリーのC級を保持。近々、B級取りを視野に入れる。
「選手の経験を還元できるようにできたらいいなあ、と思います。ただ、私はサラリーマン。辞令と仕事が優先です」
自分の立場を見失うことはない。
南藤の選手人生は、高校決勝で先発を外れ、大学決勝もベンチ、社会人でも完全なレギュラーにはなれなかった。そんな幸運とは言い難い楕円球歴ながら、最後は後輩の心に残る。その凄みは語り継がれてゆくことになる。