車のナンバーも「3」。三竹康太[花園近鉄ライナーズ]、背番号3へのこだわり。
前半23分、敵陣ゴール前の相手ボールスクラムで猛プッシュ。ペナルティを引き出す。ターンオーバー。
まもなく、右プロップの三竹康太からガッツポーズが飛び出た。
5月7日の入替戦第1戦。花園近鉄ライナーズは浦安D-Rocksを36-14で破った。
ボーナスポイント付きの勝利に、三竹はそのスクラムで貢献した。
冒頭のスクラムの直後、今度はマイボールでアドバンテージを得る。その10分後にも大きく前進して見せた。
後半に入っても優勢は変わらず、12分にラタ・タンギマナと交代するまで職務をまっとうした。
「お前のスクラムの力が必要や」
この1年は昨シーズン中に患った脳震盪に悩まされた。プレシーズンもなかなかラグビーができない日々が続き、自信を失いかけた。第5節から戦列に復帰してほとんどの試合に先発するも、思うようなパフォーマンスができなかった。
そんな時、三竹の心中を察してか、水間良武HCが声をかけてくれた。
「お前のスクラムの力が必要や」
奮起した。
「チームに必要とされていることは嬉しかったですし、チームのためにスクラムを押したいと思いました」
チームも第15節のコベルコ神戸スティーラーズ戦まで全敗だったが、「結果よりもプロセス」と前を向いていた。
「チームとしてあまりネガティブにならずに来れたと思います。そこは大阪のチームやなと」
水間HCがプレシーズンから重点課題のひとつに掲げ、時間を割いてきたスクラム。芽が出始めたのはリーグ戦終盤だった。
「最初はディビジョン1の間合いに苦しみましたが、セットアップを見直したキヤノン戦(13節)あたりからヒットで前に出られるイメージがありました。そこから(LOサナイラ)ワクァが戻って、後ろの重みも出てきた。クボタ戦(14節)、神戸戦(15節)はいい結果だったと思います」
加入5年目の27歳にして、タイトヘッドプロップの最年長になった。「早過ぎですよね」と表情を崩す。
「でもいまは後輩たちに”スクラムが強い近鉄の3番”を見せたいと思ってます。才田(修二)さん、前田(龍佑)さん、シラ(プアフィシ)といったすごいプロップを見てきましたから」
強みとしてきたスクラムは、ライナーズでさらに磨かれた。
「今の自分があるのは、春樹さんや大樹さんのおかげです」
アシスタントコーチの豊田大樹は昨季まで左プロップ。入団直後に「トイメンが大樹さんでけちょんけちょんにされて、自分の強みが消えました(笑)。それから弟子入りしていろんなことを教わりました」。
2020年からはFWコーチとして古巣に戻ってきた太田春樹が指導にあたった。
「それまでは個人的にやっていたけど、チームとしてスクラムに取り組むようになりました。春樹さんは引き出しが多いですし、膝の高さやバインドの時の肩の向きを映像を見ながら説明してくれます」
幼少の頃から体は大きかった。ずっと右のプロップだ。
息子にスポーツをさせたかった父は、はじめサッカー教室に通わせた。「全然楽しくなかった」と笑う。それならばと、小学5年から楕円球を持たせたが、この競技もまた「全然楽しくなかった」。
虜になったのは中学生からだ。1年時から試合に出られて世界が変わった。大工大ラグビースクールの仲間がいた今市中のラグビー部は、人数が少なかった。
「1年生で160㌢、80㌔くらいで、その頃からプロップ体型でした。中3の時にはほぼ今と同じくらいでした(175㌢、110㌔)。大きくなるための苦労はなかったですね。横には、ですけど(笑)。それで人よりもキャリーする回数が増えて楽しくなりました」
大阪桐蔭でも、立命館大でも、右プロップだった。
「ケガ人の影響で高校では1番を少しかじったことはありますが、全然できませんでした」
それでも、近鉄に加入後に一度、ルースヘッドへの転向を真剣に考えたという。175㌢の身長は、ディビジョン1の右プロップとしてはサンゴリアスの須藤元樹、グリーンロケッツの菊田圭佑(どちらも173㌢)に次いで小柄だ。
「大樹さんに相談したら、どちらも専門職で両立は難しいと。突き詰めるならどっちかにした方がいいと言われて、3番で上を目指そうと思いました。ずっとやってきたプライドもありましたし、名前も”三”竹ですから(笑)」
社会人2年目で購入したマイカーのナンバーも「3」だ。5月13日の入替戦2戦目も背番号3を託された。愛着のある番号を背負い、ライナーズスクラムを先導する。