日本代表 2022.09.07

武者修行時代はバイト生活。22歳のメイン平、ワールドカップ出場への決意。

[ 向 風見也 ]
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武者修行時代はバイト生活。22歳のメイン平、ワールドカップ出場への決意。
日本代表候補の別府合宿に参加しているメイン平(撮影:松本かおり)


 実戦形式の練習が続く。めったに途切れない。

 疲れた選手のストライドは徐々に狭まる。それでも、各自が求められる動きの質を保とうとする。

 ラグビー日本代表候補の別府合宿が9月5日、本格始動した。52名いるメンバーは9月下旬までに約40名に絞られるとあり、セッションに熱が帯びる。

 最後尾のFBでプレーするひとりは、メイン平である。この日、ちょうど22歳の誕生日を迎えていた。日本代表へ初選出された今夏に続き、今度の候補メンバーへ加わっていた。

 攻守の切り替えが激しい、チームのスタイルを体現しにかかる。

 ワールドカップ日本大会に出た山中亮平や松島幸太朗、学生時代から代表に入っていた野口竜司らとポジションを争うことになりそうだ。ただし、2023年のワールドカップフランス大会出場へ「いけなくは、ないと思っています」と実感を語る。

「それぞれの強み、スタイルは別々で、自分としても手ごたえは感じているので…」

 2020年に現リコーブラックラムズ東京に入り、翌21年からのトップリーグ最終シーズンでプロデビュー。身長178センチ、体重89キロと決して大柄ではないが、球を持つ際のフットワーク、攻守の切り替わる際の反応の鋭さで目立った。

 例えば味方が相手からボールを奪えば、相手のキックに備えて立っていた深い位置からトップスピードで駆け上がる。空いたスペースへ走り込む。

 今年1月からのリーグワンのシーズンを終えた5月上旬の時点では、メインに代表入りの予定はなかった。同月9日に発表された夏季活動の候補選手リストに、名前がなかったからだ。

 ここでリストアップされた候補選手が、正規の日本代表と予備軍のナショナル・デベロップメント・スコッド(NDS)に振り分けられる予定だった。

 ところが、同31日リリースのNDSの隊列にメインの名前があった。その報せを本人が知ったのは、公式発表とかなり近いタイミングだった。
 
 ちょうど、私的なアメリカ旅行から帰ってきたばかりだった。

「正直、呼ばれるとも思ってなかった。焦り、ですね。それまで動いてなかったので…。アメリカから帰ってきて1週間くらい走り込みをいっぱいして身体を作っていきました」
 
 短時間で爪痕を残した。始動9日目にあたる6月11日。NDSのメンバーからなる「エマージングブロッサムズ」の一員として、トンガ出身者との慈善試合に出る。

 会場の東京・秩父宮ラグビー場で得意のカウンターアタックを披露。31-12で勝った。

 特筆すべきは、この試合の直前に急なリクエストを受けていた事実だ。

 当初こそタッチライン際のWTBとして登録されていたメインだったが、試合前日に堀川隆延ヘッドコーチから中央のCTB、最後尾のFBでのスタンバイも求められたという。

 もともと複数の位置で戦えるのが売りのメインだったが、要望を告げられたタイミングには驚かなくはなかった。

 堀川のリクエストの背景には、代表本隊の意を汲んで動くNDSの特徴が見え隠れするような。代表本隊とNDSはプレースタイル、練習スケジュールを共有し、日本代表全体の選手層を広げようとしていた。

 いずれにせよ、チームの要求に満額回答を示すのが日本代表になる選手の務めだ。

 メイン自身も毅然としていた。

「ここから堀川さんとパソコンを開いて、ひとつ、ひとつ、プレーを確認しました。いい勉強ですね。日本ラグビーのプレーの仕方を若いうちに経験できた。今後の自分のキャリアにとって貴重な時間になりました」

 一夜漬けに近い予習を経て、好プレーを披露できたのだ。

 6月18日、同じ場所であったウルグアイ代表戦のメンバーに入った。こちらは日本代表の肩書きで挑む正規のテストマッチで、34名いたNDSのうち登録されたのは23名だ。

 メインは結局、後半20分に出番を得て初キャップ(テストマッチ出場の証)を得た。34-15で白星を得るまで、随所に持ち味を披露できた。

 タックラーの芯から逃れて前に出る。波状攻撃のさなかに狭いスペースへ走り込み、相手をひきつけながらもらった球をすぐにさばく…。

「堀川さんからのメッセージは『思い切って、カウンター(キック捕球後の攻め)を仕掛けて』と、メッセージもシンプルだった。フィールドに出た時はアグレッシブにボールキャリーするだけでした」

 29日には、ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ率いる日本代表へ追加招集された。対フランス代表2連戦を間近に控えていたチームで参加できた練習は「3回くらい」。悔しかった。

 ただ、得るものはあった。

 まずシオサイア・フィフィタ、ディラン・ライリーといった日本代表のレギュラー格の強靭さに驚き、フィジカリティ強化の必要性を実感。一方、自分だけが持つ反応速度、スペース感覚といった強みを大切にしたいと再確認できた。

 よさを際立たせるべく、パススキルを高めたいとも話す。圧力がかかった状態で精度の高いパス、オフロードパスを放れるようになれば、動きのバリエーションが広げられて技巧派選手としての価値を上げられる。

 NDSで一緒だった田村優、立川理道といったワールドカップ経験者は、パスが「異次元にうまかった」のを覚えている。自分に課す基準は高まっている。

ワールドカップスコッド入りへ向け、日本代表候補選手たちと切磋琢磨する(撮影:松本かおり)

「(ワールドカップ出場は)全く届かないわけではないです」

 地元の宮崎で4歳から競技を始めた。日本代表がよく合宿をおこなう宮崎の練習施設には、子どもの頃からよく通っていた。

 同時に親しんだのは父の母国だ。

 ワーキングホリデーで初来日したマーティーさんは、ラグビー王国と呼ばれるニュージーランドの出身。美紀さんとの間の次男にあたるメインは、小学校の頃から定期的に向こうで暮らした。越境入学した奈良の御所実高を卒業した2019年春から、本格的に単身で移り住んだ。一時帰国を挟み、約1年半、滞在した。国内の実力者は大学へ進むケースが多いとあり、メインの選択はレアケースとも取れた。

 プレー先はノースハーバーマリスト。オークランド地区北部のアルバニーにあるクラブで、国内での選手契約を目指す若者がしのぎを削る。メインはこのクラブに在籍し、アルバイトで生計を立てながらボールを追った。

 最初はグラウンドの芝刈りやライン引きの仕事に「4か月」の短期で携わった。その後に入った飲食店では、日本人店主によく怒鳴られたのがつらかった。そもそも幼少期から、「上からがーっと言われる」ことが極端に苦手だった。

 最後に就いたのは水道管工事の現場だ。

 ここでは雇い主が優しくて助かった。当時から声をかけてくれていたブラックラムズの関係者とのオンライン面談を、移動車の助手席でおこなうこともあった。

 新築の家でよく働いた。そこで居合わせた大工の集団では大抵、自分と似た立場の若手選手が働いていた。

 プロになれる選手も、なれない選手もいる。その現実を、メインは皮膚感覚で知った。

 ブラックラムズの年俸だけで暮らせるようになったいま、しみじみと述懐する。

「自分でお金を稼ぐ大切さ、お金を管理することを学べた。いまがすごく、幸せですね」

 ナショナルチームに新たな色を付け加えられる現状は、本当に幸せだと思う。競争に挑むためのハングリー精神は、20歳前後で獲得してきた。

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