コラム 2022.02.24
【ラグリパWest】孫子の兵法。千葉堅次 [元三洋電機社員]

【ラグリパWest】孫子の兵法。千葉堅次 [元三洋電機社員]

[ 鎮 勝也 ]
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 常翔学園との関りは小論文の指導よりさらに10年ほどさかのぼる。仕事からの帰り、淀川の河川敷に座って練習を眺めた。
「まだ野上先生がコーチの頃ですね」
 野上友一は現監督である。

 いつしか、ついたあだ名は「土手のおっさん」。スーツにネクタイ姿に興味を持った先代監督の荒川博司が声をかけてきた。
「荒川先生は最高のスポーツ指導者です」

 部員たちのオフサイドをいさめる。
「黄色信号で道を渡るか」
 遅刻を怒る。
「キックオフが始まってから来るか」
 自身は待ち合わせの30分前には集合場所にいた。2001年3月1日、がんのため他界する。63歳だった。

 千葉は荒川のひとつ下。勤め先は三洋電機だった。本社は大阪・守口(もりぐち)。2011年、株式交換によりパナソニックの完全子会社になる。そのラグビー部はリーグワン、埼玉パナソニックワイルドナイツの前身だ。

 創部は1960年(昭和41)。リーグワンの前身である全国社会人大会、トップリーグで1回ずつの優勝があり、日本選手権は3回制している。企業として力を入れたスポーツはラグビーとバドミントン。シャトルの代表格は北田スミ子(現姓・芝)である。全日本総合選手権のシングルスで最多8回の優勝を誇り、1988年、公開競技だったソウル五輪で銅メダルを得た。千葉は20年以上、宣伝部に籍を置いたため、部署を超えて知己が多かった。

「宮本や児玉、それに氏野なんかは仕事の話をしたりしました」
 年齢順にいけば、氏野博隆、児玉耕樹、宮本勝文。氏野はウイングで、現在は天理大のスカウト。児玉はスクラムハーフ。宮本は三洋電機や同志社大の監督を歴任、バックローだった。3人ともに同志社大出身。日本代表キャップは氏野が12、宮本は10を持つ。

 千葉の60歳定年は1999年。三洋電機で会社員人生をまっとうできた。宣伝部ではコピーライターとして働いた。その経験が論文指導の骨子になる。

 今は指導からは遠ざかってはいるが、学習は欠かさない。絵本を読んだり、童謡を書き写したりしている。
「バカにしてはいけません。子供用の文章は一番難しい。学ぶべきことはいっぱいあります。80を超えても勉強です」
 絵本は簡単な単語で世界を構成しないといけない。幼い頃に触れたもののすごみがわかる。「温故知新」。湯浅に孫子を手渡した思いはここにも生きている。

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