すべてを出し切って。村田裕太[立教大4年]
2020年度はコロナ禍で入替戦がおこなわれなかった。
立教は同年、2021年度と2シーズンをAで戦った。
今季、立教は厳しい試合が続いた。対抗戦Bでは圧倒的強さを誇っていたが、昨季に昇格したAは、青山学院に勝っただけの1勝だった。
そして今季も帝京、早稲田、明治など上位校にスコアを広げられる。ターゲットゲームと定めていた青山学院、日体大に敗れ、筑波との接戦も落とした。
それでも、いい変化があった。
スタッフの1人、馬上桃代(3年)は言う。
「(以前より)ひとつひとつの試合を大切にしているのを感じました。分析だったり、チームトークだったり。ターゲットゲームの前になると、私まで緊張するようになりました。お守りなんて持ったことなかったですけど、日体と青学の時はずっと握りしめて…。自分がプレーしないのに、こんなに緊張できるんだって周りのスタッフとも話していました」
入替戦への出場が決まった。
なんとしても、守り抜く。対抗戦Aという舞台を後輩たちに残したい。ただ、この試合は、麻生典宏主将をはじめ、多くのリーダーをケガなどで欠いた。スターター15人のうち、4年生は4人。若いチームが、いつもと変わらない空気で臨めるよう、後輩たちへの声かけを増やした。
試合の5日前、麻生、ゲームキャプテンを務める山本開斗の2人から、村田はある依頼を受ける。
「入れ替え戦がどれだけ重要な試合なのか、お前の口から話してほしい」
2年前、立教が昇格した時、村田は同期で唯一のメンバー入りを果たした。入替戦は、対抗戦とは別物。そのことは村田自身が身をもって感じていた。
「入れ替え戦は『総力戦』だと、シーズン前から言われていました。春シーズン、成蹊に大勝しても、入替戦では負けてしまうという話を聞いた当初は『そんなことあるの?』と理解できなくて。でも、実際、入れ替え戦に出ると分かりました。気迫とか、想いが全然違いました」
先代がどれだけの想いを懸けて昇格に辿り着いたのか、どんな想いで入れ替え戦を闘ったのか、自分の言葉で真っ直ぐに話した。
みんなの空気が引き締まったのが、嬉しかった。
12月12日。立教は、対抗戦Aの座をしっかり守った。村田は、最後までスタンドに頭を下げた。
「感謝の気持ちは、あそこ(グラウンド)でしか表現できないと思ったので」
13歳の頃から寮生活を支えてくれた両親は、立教に入ると、グラウンドのある埼玉・志木に、都内から実家を移した。食事を毎食作ってくれ、あらゆる面でサポートしてくれた。
ハーフタイム、麻生は「村田しかいないから。チームを頼んだ」と想いを託してくれた。
いつも一緒にいたけど、試合に出られない仲間たち。コーチ、スタッフ、卒業生にたくさんのファン。
誰かのために闘えていた。それが幸せだった。
いま振り返ると、そう思う。
大切にしている言葉がある。
「辛い時こそ、丁寧に」
函館ラ・サール時代、荒木竜平監督(当時)が教えてくれた。これを信じて、やってきた。フル出場した村田は、後日、取材に松葉杖で現れた。試合中、辛い時間帯を乗り越えて最後まで体を張れたのは、4年生としての責任と、この信条があったから。
自分ではない誰かのために。すべてを出し切って、辿り着いた境地。ラグビーが教えてくれたことは、この先もずっと、村田の中で生き続ける。