【ラグリパWest】ラグビー・スピリッツ。西村将充 [コカ・コーラレッドスパークス元採用担当]
入社は2000年。4年後、向井昭吾が監督になる。東芝府中(現・東芝)では日本選手権3連覇、就任1年前には日本代表監督として第5回のワールドカップも指揮した。
「ぼろ雑巾のようにしぼられました。寝て起きて同じメニューが2時間続きました」
向井は2季で最上に引き上げる。チームは2006年度から12季をトップリーグで戦う。最高位は2009年度の8位だった。
西村は2007年度シーズン終了後に現役引退。採用として11季を過ごした。早大からは有名選手だった豊田将万(まさかず)、有田隆平、山下昂大(こうた)をUターンさせた。3人とも東福岡出身。豊田はナンバーエイト。会社に籍を置き、九産大の女子ラグビー部の監督になった。有田は神戸製鋼でフッカーとして現役を続けている。2人の日本代表キャップは同じ9。フランカーだった山下は早稲田佐賀高の監督になった。
西村が競技を始めたのは小2。熊本ラグビースクールだった。父・邦昭は指導員の知り合いが多かった。中学では野球やり、熊本工に入学後、再び楕円球を手にする。
2年でセンターの定位置をつかみ、花園に出場する。74回全国大会(1994年度)は2回戦敗退。國學院栃木を18−13で降し、男鹿工に10−22で敗れた。
大学は國學院に進む。
「松岡さんのおかげです」
松岡公法(きみのり)は高校の2つ上。大学のみならず、社会人でも引っ張ってくれる。それは西村の人間性を語る。松岡は現役時代、ロック。引退後はレッドスパークスのコーチもつとめた。
「当時の國學院はリーグ戦の三部と四部を行ったり来たりでした」
西村は振り返る。取材に立ち会った広報部長の石山道亮(みちあき)は覚えている。
「一緒に試合をしましたよね」
石山は駒澤のOBでもある。
今の國學院は伊藤護を監督に据え、二部で戦う。伊藤は東芝出身のスクラムハーフとして日本代表キャップ16を持っている。
國學院は強くなり、レッドスパークスはなくなった。西村はこれからを見据える。
「ラグビー選手の出身らしく、すかっと、さわやか、カチッとした男でありたいですね。クラブの思い出がなくなるわけではありません。一生、自分の中に残りますから」
以前のキャッチコピー、<スカッとさわやかコカ・コーラ>を使うところに、愛社精神が透ける。熊本の旧国名は肥後。住人は純粋で正義感が強く、よい意味で頑固な「肥後もっこす」として例えられる。西村はその血にラグビーをブレンドさせた。高い人間性はチーム存廃の影響を受けることはない。