国内 2021.12.02

高校で全国未経験も強豪大で活躍。165センチの白國亮大が帝京大の仲間になるまで。

[ 向 風見也 ]
高校で全国未経験も強豪大で活躍。165センチの白國亮大が帝京大の仲間になるまで。
王座奪還を狙う帝京大学。写真中央が白國亮大(撮影:松本かおり)


 各校のキャリア組を凌駕する。

 帝京大ラグビー部4年の白國亮大は今季、加盟する関東大学対抗戦Aで5試合に先発してきた。

 現在の公式で身長は「165センチ」と小柄で、全国高校大会へ出たことのない大阪府立摂津高の出身だ。それでも今季からWTBで先発機会を得ると、持ち前のランニングスキルで防御を振り切り、抜け出したランナーへ果敢にタックルを放つ。一線級の揃うステージにあっても、確かな存在感を示す。

 11月20日は東京の秩父宮ラグビー場で、前年度王者の明大とぶつかる。前半28分。自陣中盤で相手のハイパントを捕球すると、身体を左に反転させて目の前の防御をかわす。フットワークを刻む。敵陣中盤まで進む。

 まもなく味方PRの照内寿明にラストパスを送り、トライとコンバージョンにより14-0とした。最後は14-7と逃げ切り、白星の立役者となった。

 12月4日の慶大戦(秩父宮)を残して6戦全勝。3シーズンぶり10度目の対抗戦Vに近づく。何より目標とするのは、2017年度以来10度目の大学日本一である。もはや無印であるのを誇ってよい背番号14は、かねて意気込んでいた。

「最初の試合の頃は少し(連係が)合わない部分、バックスでの細かいミスがありましたが、いまはしっかりコミュニケーションを重ねて、以前よりよくなったのではないかと感じます。まず、対抗戦の残り試合を必ず勝ち、優勝したいです」

 改めて帝京大は、大学ラグビー界トップクラスの「エリート集団」と謳われている。

 今年11月時点でのクラブ側の説明によると、いまの選手数は135名。大半を占めるのは、東福岡高や奈良の御所実高といった全国大会の常連校からやって来たアスリートだ。

 右PRの細木康太郎主将は、全国高校ラグビー大会2連覇中の桐蔭学園高の出身である。神奈川県内にある同高から加わりたての青木恵斗は、1年生ながらFLとして一軍入りしている。

 2年にしてリーダー格と見られるHOの江良颯、NO8の奥井章仁も、大阪桐蔭高の一員として2018年度に日本一となった。当時のチームで主将だったCTBの松山千大、その松山とBKラインを作っていたSOの高本幹也も、いまのクラブを支える。

 ただし歴史をひも解けば、帝京大が「エリート集団」と一線を画しているようにも映る。

 大学選手権9連覇を果たした2017年度までの間も、北海道は美幌高出身の大和田立(2013年度卒で現NECグリーンロケッツ東葛)、愛知の三好高にいた飯野晃司(2016年度卒で現東京サントリーサンゴリアス)といったタフな伏兵が赤いジャージィを着ている。

 白國は最終学年の今季、その並びに加わった。

11月3日の早大戦でプレーする帝京大WTB白國亮大(撮影:松本かおり)

 幼稚園から中学まで、空手を習っていた。地元の摂津五中でサッカー部に入ろうと思っていたが、周りの先輩に誘われラグビー部を選んだ。格闘技に親しんだ経験から、身体をぶつけるのに抵抗がなかった。

 進学先の摂津高で監督をしていた天野寛之氏は、かつて島本高を率いて堀江翔太の帝京大進学を見届けている。現在、埼玉パナソニックワイルドナイツにいる堀江は、日本代表としてワールドカップに3度出場。天野の長男の豪紀、次男の寿紀も帝京大へ進み、卒業後はそれぞれホンダ、キヤノンへ入っている。

 白國も高校3年時、天野氏に帝京大を勧められた。

「高校自体が花園とか全国大会に出たことがなくて、僕自身もあまり有名な選手ではないし、身体も小さかった。もともと帝京大は好きでしたが、入れると考えたことはなかったです。(天野氏から選択肢を)聞いた時は驚きました」

 まずは日野市内での練習を体験。芽生えたのは、この人たちの仲間になりたい、という思いだった。

 緊張のあまり右往左往していた自分のことを、世話係を担った当時の2年生部員が気遣ってくれた。現埼玉ワイルドナイツの新井翼、現東芝ブレイブルーパス東京の宮上廉である。2人はレギュラー定着へ目の前のセッションに没頭していたはずなのに、合間、合間にゲストの高校生へ練習の段取りや意図を話していた。白國は感銘を受けた。

「(練習に参加したら)本当にレベルが高くて、正直、ついていけないと思いました。ただ、練習した時に帝京大の選手のラグビーへの必死さ、選手の人としてのレベルの高さを感じました。せっかくなら、ここで挑戦したいと思い、決めました」

 入寮後はまず、身体を大きくした。

 当初の体重は「60キロ前後」である。勤勉かつ効率的に筋力をつけるこのクラブで過ごすには、幹を太くしなくてはならなかった。もともと食の細い方だったが、部員たちの視線や励ましでその課題を克服。いまでは公式記録に「73キロ」と書き込めるようになった。スピードは落ちていない。

 カルチャーショックは時間が解決した。

 寮やグラウンドには、それまでテレビやインターネットでしか見られなかった有名選手が動き、呼吸をしていた。グラウンド併設のジムでは、同級生の細木が入学早々にウェイトトレーニングで大学トップレベルの数値をマークした。

 当初はその状況に面食らうこともあった白國だが、「3年目から少しずつラグビーの知識も増えたし、自分も(チームに慣れて)やりやすくなって、そこからは試合に出たいと思うようになりました」。丁寧な積み重ねを続けるうち、やがて凄腕の仲間になったのだ。

「1年生の頃から試合に出たいとは思っていましたが、強豪校の選手たちは考えてラグビーをしていました。そこが(自身)との差でした。だからラグビーの理解度、それと身体作りのところを、先輩からとにかく盗もうと思ってきました。今年はチームができた時から絶対に日本一になると決めています。それに向けて毎日、毎日、積み重ねていきたいです」

 時間をかけて華舞台にたどり着いた白國がそのステージで踊れる期間は、あとわずかだ。対抗戦を経れば、学生ラストイヤーの大学選手権を残すのみ。憧れていた日本一の選手になる、最後のチャンスである。

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