【ラグリパWest】忘れ得ぬ6月23日。中部大学春日丘高校[愛知県]
宮地は当時を振り返る。
「その時、私にはやるか、やめるしかありませんでした」
宮地は学生日本一3回の大東文化大学の卒業だが、ラグビーはこの学校に赴任してから始めた。初心者だった。1992年のことである。そして、12年目に陽祐が亡くなった。
父・隆行と母・優子は部の存続を願う。宮地の思いが文になって残る。
<葬儀の終わった次の日、青井さんが、名古屋高校の方が一番不安に思っていらっしゃるでしょうから、私が出向いて、今回のことでラグビーを嫌いにならないように話をさせてもらいたい、と言われたとき涙が溢れて止まらなかった>
現在、ラグビー部のOB会長をつとめる高屋英史は言う。
「あの時から、本当の意味でのハルヒの歴史が始まったのです」
残された者は覚悟を決める。ラグビーにかける。2年後、東海大会、その2年後、選抜大会に初出場。さらに3年をかけ、花園の芝を踏む。90回記念大会(2010年度)だった。
昨年度の100回大会では10回目の出場にして、初めて8強入りする。準優勝の京都成章に3−14で敗れた。選手としては姫野和樹を生む。6月26日のライオンズ戦で、日本代表唯一のトライを挙げた。トヨタ自動車に籍を置き、ハイランダーズで戦った26歳は、世界に冠たるバックローに成長する。
これまでの時の流れを石碑と2本の山法師の木は知る。グラウンドから少し離れた校内に文集出版と同じ2004年に置き、植えられた。花言葉は「友情」。陽祐が逝った時期に花を咲かせ、秋に実を結ぶ。今年も祥月命日には部員たちで草引きがなされた。
日々の練習は今でも黙とうから始まる。
「文化をつなぐ、という意味において、なくしてはいけないことだと思います。ハルヒにとってのルーティーンです」
主将の小池陽翔(はると)は話す。誕生年は2004。当時、陽祐はすでに世にいない。
小池は陽祐と同じWTB。先頭に立つ2021年のチームは、6月の県総体決勝で55−3と大勝する。相手はくしくも名古屋だった。続く、東海地区総体では42−3で東海大静岡翔洋、74−3で朝明(あさけ)を連破。8連覇を達成。圧倒的な東海王者として君臨する。
その上で小池は先を見据える。
「あくまでも目標は日本一です。そこに少しでも近づいていきたいです」
亡き人の魂とともに、その実りを告げる麦秋はそう遠くない先に迫っている。