【ラグリパWest】権晶秀の決断。[大阪朝鮮高級学校ラグビー部前監督]
権は大阪朝高のOBである。入学後に競技を始めた。現役時代はFL。朝鮮大では東京教育大(現・筑波大)に学んだ全源治(ちょん・うぉんち)の薫陶を受ける。全は1968年、この大学に創部し、「朝鮮ラグビーの父」と呼ばれた。権は2004年、母校に戻る。監督で恩師でもあった金信男(きむ・しんなむ)の下でコーチをつとめる。
金の後を継いだ呉英吉(お・よんぎる)の退任とともに、2015年4月、権は監督に就任した。呉は前のNTTドコモの育成兼リクルーター。その監督時代、89、90回と2大会連続で全国4強入りを果たす。100回同様、桐蔭学園に7−33、10−21と敗れている。
権は監督として6年を過ごす。生徒数が減少する中、チームを2回、全国大会に導く。最初は98回。神戸製鋼のSOである李承信(り・すんしん)が主将だった。2回戦で報徳学園に29−50と差をつけられた。
「今回の4強は98回の経験が生きています」
100回大会の主軸になった主将でNO8金勇哲(きむ・よんちょる)やFB金昂平(きむ・あんぴょん)は1年生から花園の芝を踏む。2人はこの春、明大に進んだ。
権は1年前にすでに退職を考えていた。
「でもこの代は強かった。クラブの将来のためにも花園に出さないといけない。それに人数は21。彼らの進むところも決めてあげなければなりませんでした」
そのチームは、11回目の花園出場で、朝明(あさけ)、昌平、秋田工、流経大柏をなぎ倒した。10大会ぶりの4強に入る。
「桐蔭学園に負けた悔しさより、楽しい、幸せな時間だったなあ、という思いの方が強いのです。部員たちには改めて感謝したい。本当によくやってくれました」
21人の卒業生の進路もすべて定めた。
3月末、新チームの前で離任を告げた。
7人の新3年生は泣いた。校舎の引っ越しで権は彼らが中3の時から指導した。
「胸が痛かったです。時間のある時には顔を出して、彼らの行く末を見届けてあげたい」
責任感の強さは変わらない。
夢は後任に託す。
「大阪朝高が全国優勝をして、朝鮮市場をパレードしている姿を見たいです」
朝鮮市場とは生野区の御幸(みゆき)通りを差す。そこは大阪、いや全国のコリアン・タウンの中心だ。その中をエンジ×白のジャージーを着た高校生たちが飛球の大旗を持って練り歩く。そのイメージは、チームを離れても、権の脳裏から消えることはない。