【ラグリパWest】ラグビーで人間的成長を。 吉田大樹 [那賀高校監督/和歌山県]
同年、この地では国体があった。県選抜の選手をしながら、一般企業で働いた。
翌年、教員になる。県南の熊野で過ごす。現監督の瀬越正敬は46歳。謝意がある。
「僕がいない間、チームを見てくれました」
瀬越は和歌山工に転勤中だった。その留守を預かった。
吉田の父・克吉(旧姓=富澤)は日体大出身。入学時、寮の部屋長をつとめたのは最上級生の清水晃行だった。瀬越の恩師である。
「縁だなあ、と思います」
瀬越はしみじみと話す。
清水は2005年12月、がんで逝去する。51歳だった。その後、コーチだった瀬越がチームを受け継ぎ、花園出場を13回に伸ばす。和歌山工の25回に次ぎ、県内では2位になる。
吉田は2018年に那賀に転任した。この4月で4年目に入る。
元々、教員志望だった。
「両親も兄も教員でした。人と関われるやりがいある仕事だと思っていました」
父のみならず、母・彰子も兄・一樹も教育現場にいた。吉田は東芝の社会人時代、教員免許を通信などで取る。
サラリーマンになったのは理由がある。
「社会に出て、流れを知りたいと思いました」
東芝に籍を置いたのは2004年から2015年まで12年間。トップリーグ優勝は最多5回を誇る強豪を支えた。
ラグビーを始めたのは群馬の東農大二。中学まではサッカーだった。
3年時の79回全国大会(1999年度)では、3回戦で初優勝する東海大仰星に20−27で敗れた。監督の伊藤薫の思い出がある。
「アメ玉ひとつでも70人いるなら、70等分する気持ちを持ちなさい、と言われました。仲間への思いやりを学びました」
大学は同志社。4年時は40回目の大学選手権(2003年度)にあたる。準決勝で早稲田に33−38。準優勝チームを上回れなかった。
指導の象徴は岡仁詩だった。
「学生の判断ミスを肯定的にとらえてくれました。すべてにおいて前向きでした」
接点があった者の教えは、吉田の中に生き続けている。
1月16日、新人戦(近畿大会県予選)は0−90と大敗した。
相手は和歌山工。那賀は部員6人のため、星林と新翔とで合同チームを組んだ。新翔は和歌山市内から車で3時間の新宮に学校がある。合同練習は1回しかできなかった。
吉田はセーフティー・アシスタントの赤いビブスをつけて試合に参加した。
「出し切ったか。ケガはないか」
ノーサイドの後、声をかけていた。
平山は敗戦にもめげることはない。
「これまで僕はチームスポーツやって来ませんでした。だから、みんなで勝つラグビーがすごく楽しいんです。春には15人を集めて、秋には県予選でベスト4に入りたいです」
吉田の指導のよさが透ける。
「高校生がラグビーを通して、人間的な成長をする。そのことに貢献できたら」
目を向けるのは、勝負のその先である。