国内 2020.09.04

引退覚悟の竹中祥を救った旧友・小倉順平 桐蔭学園時代の同期はともに新たなスタートへ

[ 森本優子 ]
引退覚悟の竹中祥を救った旧友・小倉順平 桐蔭学園時代の同期はともに新たなスタートへ
がっちり肩を組む小倉順平(左)と竹中祥。希望に満ちた最高の笑顔


 才あるWTBの未来を繋いだのは、旧友からの1本の電話だった。
 8月31日、日野レッドドルフィンズは、竹中祥の加入を発表した。経歴をたどれば、NECグリーンロケッツからの移籍となる。だが、そこに至るまでには紆余曲折があった。

 NECから戦力外を告げられたのは4月初旬。今季はシーズンが5月までの予定だったため、ラグビー部の社内での人事異動は6月。悩んだ末、6月いっぱいでの退社を決断した。だが現役を続けたいと、移籍を依頼した代理人から返ってきたのは「どこもWTBの需要はない」という一言だった。

 桐蔭学園時代の同期だった小倉順平(キヤノン)から電話があったのは6月半ば。現役を諦めて、居酒屋のバイトで生活費を稼ぎながら筑波大で教職課程をとろうと、寮の部屋を片付けている最中だった。
「お前、どうするの?」
 引退しようと思っていることを告げると、小倉は「話をつないでもいいかな」。
 自らの代理人に友人の移籍先を託した。結果、日野が獲得の意思を表示。面談、メディカルチェックを経て、8月半ばに入団が決まった。

「本当に助かりました。チーム編成的に契約期間ぎりぎりで滑り込みだったと思います。これから頑張らないと」(竹中)

 日野の箕内拓郎ヘッドコーチは「彼は戦力として必要だと思ったので採りました」と言い、こう続けた。
「今年はうちにとってチーム再建の大事な年。それは彼自身にもかぶること。エディーさん(エディー・ジョーンズ元日本代表ヘッドコーチ)に期待される存在でしたが、ケガが続いていた。彼自身、選手として再建してほしいなと」

 同期の背中を押した小倉も、サンウルブズに入るため、NTTコムを退社。その後、キヤノンに移籍が決まった経緯がある。
「ラグビーができる期間は限られてる。出来る選択肢があるなら、そこに賭けるべき」(小倉)

 竹中も、小倉の電話で現役を続ける腹が固まったと振り返る。
「それまでいろんな人に“ラグビーやらないの?”と聞かれて“いやあ、無理かなあ。わかんないなあ”と濁していたんです。でも“順平が言うならやるしかない”と。中学2年からずっと一緒にやってきた。チャンスがあるなら、そこにすがろうと」

 桐蔭学園の先輩である日野・山下大悟アシスタントコーチも、加入を後押ししてくれた。大学には入学辞退を申請。入学金を支払う前に、手続きが間に合った。

 竹中は今年の2月に足首を手術。NEC退社後は、練習といってもジョギング程度しかしておらず、当面はリハビリが続く。箕内ヘッドコーチも「焦らせたくない。まず選手寿命を伸ばすことが大事」と、大器の完全開花を優先する。

「いま自分の弱点をバンバン言われてます。“そこ、苦手なんだよなあ”というところ。プロとして採ってもらったので、付加価値をつけないと。弱みを克服することは、今の自分のモチベーションにもなってます」(竹中)

 いちどは諦めかけた現役だ。今度はそうそう簡単に手放すつもりはない。
 小倉、竹中、そして現在フランス・トップ14のクレルモンに所属する松島幸太朗は10年前、第90回全国高校大会で桐蔭学園が初優勝したときの主力だ(東福岡と決勝同点:両校優勝)。
 高校卒業後、二人がマッチアップしたのは、大学1年時の1試合のみ。
「筑波が33年ぶりに早稲田に勝ったときです!」(竹中)。「覚えてないなあ」(小倉)。

 トップリーグに入ってからの対戦はまだない。高校を卒業して10年、二人とも新たなチームでスタートを切った。来年1月開幕予定のトップリーグ、日野対キヤノンの対戦に、新たな楽しみが加わった。

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