清水塁 元A1級レフリーが語った「してあげるシアワセ」。
清水建設ブルーシャークスに2018年からチームレフリーとして所属したのにも、こうした背景がある。
「普通のレフリーは日常にスクラムやラインアウトがない。試合のある土日だけ。一試合のスクラムは20本程度なので、これではスクラムを見る目は養えないと思うんです。
だからチームレフリーをすることで、平日にスクラムの練習を30、40本と見られるようしました。そうすると引き出しがどんどん増えていく。このくらいのバインドだと落ちてしまうと分かったから、レフリーとしてここは注意しておこう、みたいに」
レフリーになったのは拓大1年時。首を痛めて、突如選手生命を絶たれた。そのときレフリーを勧めてくれたのが、練馬区立関中学時代の恩師、明尾泰行先生だった。
「ラグビー部をやめようと思っていますと相談したら、レフリーという道があるよと言われて。レフリーだったらまだトップリーグや代表、いけなかった場所に立てると思って始めました」
神奈川県ラグビー協会に所属すると、もう一人の恩師に出会う。アジア人で唯一、ワールドカップで笛を吹いた斉藤直樹レフリーである。清水さんは斉藤レフリーの最後の弟子として手取り足取り教わった。
2011年には日本協会A1級レフリーに。以降、トップリーグや日本選手権など、数多くの試合で笛を吹いてきた。
「人には3つのシアワセがあるそうなんです。ひとつは『してもらうシアワセ』。もうひとつは『できるシアワセ』。そして最後のひとつが『してあげるシアワセ』です。最後の『してあげるシアワセ』が一番シアワセだそうです。レフリーってまさにこれだなと。試合が終わった後に『サンキュー、レフ』と感謝してもらえる。これがレフリーをしていて一番うれしい瞬間です」
4月からは心機一転、南海化学株式会社で営業マンとして働いている。
レフリーとして『してあげるシアワセ』を知った清水さん。新しいフィールドでもきっと誰かのために邁進するはずだ。
〈清水さんにはラグビーマガジン10月号掲載の「短期連載 初心者必見スクラム講座『スクラム知ろうぜ』」でもご登場いただきました。そちらもぜひご確認ください。〉