1年で主力入り→2年目は有望新人と競争…。明大の大賀宗志、自粛中に固めた決意。
マジックに引き込まれた。
地元の兵庫県にある白ゆり幼稚園に入った大賀宗志は、当時の垂優園長と約束をかわした。煙草を耳から鼻へと出す手品を見て、仕掛けがわからなかったらラグビーをすることになったのだ。垂園長は伊丹ラグビースクールの創設者で、過去には現サントリーの梶村祐介らも同じ手で楕円球界に誘っていた。
ひょんなことから始めたラグビーは、「自然と楽しくなって」と大賀。実力ある同級生に恵まれ、「ひとつのことを続ける力がついた」。日大などでプレーした父の宗高さんとは、伝統の早明戦などに視線を送った。自身のプレーするFWが前へ、前へと進む明大のファンになった。伊丹ラグビースクール、報徳学園高を経て、憧れの明大に入ったのは昨春のことだった。
実際に入った国内有数の名門クラブでは、「自分で考えてプレーできる選手、チームに貢献できる選手が上に残る」と感じた。全国の強豪校から集まる約90名の部員のうち、「しんどいフィットネスの練習の時、周りを鼓舞している選手は常に評価されている」ように思ったからだ。
自身もその隊列へ食らいつく。組織力を保つための「コミュニケーション」が必要だと皮膚感覚で学び、1軍のジャージィもつかんだ。
身長179センチ、体重106キロ。一線級の右PRにあっては決して大柄ではないが、攻守で鋭さ、激しさ、起き上がりの速さを貫ける。ルーキーイヤーから激しい定位置争いで上位に食い込んだのは、生来の長所と、何よりの向上心が同郷の田中澄憲監督らに認められたからだろう。
17歳以下日本代表入りした過去に触れ、こんな話をしていた。
「同世代では抜けた存在でいないといけないと常に意識していて。そのためには普通の練習をするのはあたり前で、そこからが(周りとの)差になる。個人練習には力を入れています。動画で自分のこれまでのスクラムをフィードバックすることも、意識してやっています」
1月11日、東京・国立競技場。大学選手権決勝では、リザーブ入りを果たしながら出番を得られなかった。35-45で2連覇を逃した瞬間を、タッチラインの外で過ごした。
「それが正直、悔しくて…」
新型コロナウイルスの感染により秋以降のシーズンの形が不明瞭だが、「(試合は)あって欲しい。そこに出たい」と願うのは自然な流れである。
3月にはジュニア・ジャパンの一員としてフィジー、サモア、トンガの代表予備軍とのバトルで持ち味を発揮。優勝に喜んでいる。「相手は強かったですが、日本の速いラグビーは通用する」と成功体験を積み、新たなシーズンに挑む。
明大にはこの春、奈良・天理高出身の中山律希、大阪・常飛翔学園高出身の為房慶次朗という2人の高校日本代表の右PRが入部している。
大賀にとっては、前年度の自分と似た新顔との競争が始まる格好である。
それでもどうだ。置かれた立場を客観視しながら、熱い口調で決意を明かすのだった。
「昨季は経験を…という部分で(メンバーに)入れてもらえていた部分もあったと思いますが、今年からはそれがなくなる。自分の力で上がらないといけないと実感しています。同じポジションに高校のいい選手が入ってきて、底上げがされる。ここで自分は追い抜かれるんじゃなく、引っ張って、引っ張って、いいチームにしたいです。最初、コーチ陣の目はフレッシュな人材の方へ行ってしまう。ただ、そこでポジション争いを制すれば自信になる。自分のやるべきことをひとつひとつやって、勝ち取るしかない」
チーム練習は4月上旬からずっとおこなわれず、少なくとも5月いっぱいまでは全体の約半分程度の部員が都内の寮から実家へ戻っていた。大賀もその1人だった。しかし6月に入ってからは、指揮官とこまめに連絡を取り合ってきた。まもなく、箸本龍雅主将と同じ部屋に戻った。
後輩との、さらには自分との勝負が始まった。あの日に立てなかった舞台で躍動すべく、静かに燃える。