海外 2020.05.06

ジョージアの英雄マムカ・ゴルゴゼ、新型コロナで完全燃焼できず無念の引退。

[ 編集部 ]
ジョージアの英雄マムカ・ゴルゴゼ、新型コロナで完全燃焼できず無念の引退。
中央がマムカ・ゴルゴゼ。ワールドカップ2019日本大会でジョージア国歌を歌う(Photo: Getty Images)


 ジョージアの英雄であるマムカ・ゴルゴゼが、現役引退を発表した。
 本当は、所属するトゥーロンでラストと決めていたシーズンを最後まで戦いきったあと、スタジアムでファンに感謝と別れを伝えたかったが、トゥーロンが属するフランス最高峰リーグのトップ14は4月末、世界的に大流行している新型コロナウイルスの影響で2019-2020シーズンの打ち切りを決定。ベスト8入りしているヨーロピアン・チャレンジカップも中断したままで再開のめどは立っておらず、35歳のレジェンドは無念の思いで16年間のプロラグビー人生にピリオドを打った。

 ゴルゴゼはジョージア代表として出場したワールドカップ2019日本大会の戦いを終えたあと、トゥーロンに戻ったが、11月30日のポー戦が最後のプレーとなった。冬に負傷したため、戦列復帰を目指し懸命にリハビリを続けていた。しかし……。
 フランスのラグビー専門サイト『Rugbyrama』で、ゴルゴゼは次のように語っている。
「最悪のキャリアの終わり方です。私は16年間プロラグビーでプレーし、このスポーツのためにすべてを注いできました。だから、本当にひどく落ち込んでいます。けがとウイルスによって……私が想像した終わりではありませんでした。とてもつらいです。でも、文句を言いたくはありません」

 身長195センチ、体重118キロ。勇敢なハートとフィジカルの強さはタックル、ブレイクダウンで存分に活かされ、破壊力満点の粗削りな突進でも観客を魅了し、「ゴルゴジラ」「ガリバー」というニックネームで親しまれた。17歳でラグビーを始める前はバスケットボールをしていて、ハンドリングも巧みでオフロードパスを得意とした。

 トビリシのクラブチームでプレーし始めると瞬く間に注目を集め、18歳でジョージア代表デビュー。ロック、ナンバー8、フランカーとして奮闘し、通算75キャップを獲得した。ワールドカップは4大会(2007、2011、2015、2019)参加で15試合に出場している。クラブシーンではフランスでの生活が長く、モンペリエとトゥーロンで合計250試合以上プレーした。

 世界に名をとどろかせたのは、2015年のワールドカップだった。
 ジョージア代表、愛称レロスのキャプテンとして臨んだゴルゴゼは、強いリーダーシップでチームをけん引。トンガ戦で最高のパフォーマンスを見せ歴史的勝利の立役者となり、同大会で優勝することとなるニュージーランド代表“オールブラックス”との戦いでも体を張って仲間を鼓舞し、試合には敗れたがマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、約7万人が入った満員のミレニアムスタジアムで万雷の拍手を浴びた。そして、ナミビアも倒して2勝を挙げたレロスはワールドカップ初のトップ12入り(プールC 3位)を果たし、次回大会の自動出場権を手にしたのだった。

 ゴルゴゼは2017年、ナショナルチームから退くと発表していた。しかし、2019年ワールドカップ前にジョージア代表チームに負傷者が出たため、再びレロスの一員となった。35歳で迎えた日本大会では4試合すべてに出場(3試合先発)し、フィジー戦ではテストキャリア最後となる通算27トライ目を記録(ワールドカップでは通算4トライ)。同大会でのタックル成功率97%はチームトップの成績だった。そして、2019年10月11日に静岡・エコパスタジアムでおこなわれたオーストラリア戦で背番号7をつけフル出場したあと、ジョージア代表のジャージーを脱いだ。

 ジョージアラグビー史に残るレジェンドは、新たな契約を探すつもりはないと言う。トゥーロンとの契約が切れる6月末までに試合は再開されそうにない。新型コロナウイルスによる死者が2万5000人を超えたフランスでロックダウン(都市封鎖)が解除されたら、母国のジョージアに帰国する予定だ。そして、新たな人生を歩んでいく。

ラグビーフィールドから去るレジェンド(Photo: Getty Images)

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