コラム 2020.03.26
【コラム】ダンスとパスと、コッペパン。

【コラム】ダンスとパスと、コッペパン。

[ 谷口 誠 ]

 ターゲットのところに2~3人で駆け寄り、「すいません」と頭を下げる。間近まで寄ってボールを受け取らないのがミソだった。5メートルほど手前で止まると、大抵の生徒はおぼつかない手つきで投げ返してくれる。

 「うわ!」「すごいパス!」「ラグビーやってたん?」

 「え? やってません」

 「信じられへん!」「センスあるよ!」「ラグビーやってみいひん?」

 15歳でも、こんなおべっかを真に受ける人はそういない。大切なのは、まず笑ってもらうこと。楽しそうな集団だと感じてもらうことだった。その後、教室に通って「見学だけでも」と誘い続けると、グラウンドまで来てもらえる確率は高かった。

 もっと昔の日本のラグビー人も、部員集めには苦労していたようだ。古参クラブの1つに、東京藝術大学ラグビー部がある。部誌『上野の杜のラグビー部』では、1949年に卒業したOBが当時の勧誘事情を振り返っている。

 太平洋戦争後の混乱期、人集めはいっそう困難だった。かねての部員不足に加え、十分に食事を摂れない選手も試合に来られなかったからだ。部外の学生を助っ人として募る時の報酬が、コッペパンだったという。「一つでは駄目でもコッペパン2つ喰わせると云うと時間の空いているのは皆きた」。その際にも秘訣があった。ラグビーのルールを教えるタイミングをギリギリまで遅らせることである。

 試合の前日では早すぎる。必ず当日まで引っ張る。会場まで電車を乗り継いで向かう場合は、最後の列車に乗ってからだった。「早く教え始めると乗換駅で(その人が)逃げる」。未経験者がいきなりタックルやスクラムをしろと言われれば、腰が引ける。直前の出場辞退を避けるための手段だった。現代の感覚からは強引に映るが、当時は許容範囲だったのだろう。

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