【ラグリパWest】悲運のFB、次のステージへ。 立見聡明(天理大)
朝、元気だった母は昼には冷たくなっていた。突然の心臓疾患だった。
幼稚園の5歳から前橋ラグビースクールで始めた競技。その集大成の前日だった。
命のはかなさを15歳で知る。じん帯断裂時の達観もその影響が見え隠れする。
「オヤジは太っていたのにどんどんやせてガリガリになりました。かわいそうでした」
兄弟は3人。立見は真ん中だった。大学選びは自分の中でしばりをかける。
「強いチームで、かつ経済的負担をかけないという思いがありました」
奨学金受給の対象者になったこともあり、黒衣軍団の一員になる決心を固める。
「初めてやと思うよ」
小松が言うように、群馬県から天理大ラグビーの門を叩く先駆者になる。
関西人に対する印象は、関東人の誰もがそうであるようにネガティブだった。
「怖いし、めちゃくちゃしゃべってくる」
身構えた寮生活は3人部屋。4年生の永松哲平は千葉・市立船橋出身のWTBだった。
「静かな部屋でした」。
この空間と部屋長に助けられる。
天理大では右ひざ後十字じん帯損傷や右ひじ脱臼などにも見舞われたが、4年間、試合に出る。1年で関西学生代表にも選ばれた。松永の入学で2年生からFBに移動。4年間の学生生活は総じて楽しかった。
「全然よかったです。ラグビーもそうですが、おもしろい人間にたくさん出会えました」
同期のHO北條耕太やPR山川力優(りきゅう)はいつも笑わせてくれた。
立見は彼らとともに関西リーグを負けなしで卒業する。連勝記録は28。天理大の最後の黒星は2015年12月5日。10−13と惜敗した最終第7戦の対同志社である。
家庭の方も落ち着いた。
4つ上の兄・和雅は群馬大の大学院を出て、コンタクトレンズの研究をしている。2つ下の弟・斉之(ひとし)は調理師免許を得て、昨年から店に出る。三代目として修行中だ。
「そばは大学に入るまで食べませんでした。黒くてなんか好きになれなかった。父の料理では麻婆豆腐が最高です」
メニューにない中華が好き。このユニークさも立見の魅力のひとつである。
春からトップチャレンジの豊田自動織機に進む。3年生から声をかけてくれた。
ひざの手術は1月15日。走れるのは5月になる。今は装具をつけて歩いている。
社会人での目標を口にする。
「ランを含めたプレーで、負け試合の雰囲気を変えられような、そんな選手になれたら、と思います」
トップリーグ復帰の力にもなりたい。
「大学の同期みんなでこのリーグで試合をしようや、っていう話になりました」
言い出したのは主将のFL岡山仙治(ひさのぶ)。クボタに入社が決まっている。
その言葉を現実にするため、まずは水色ジャージーを1日も早くまといたい。