ワールドカップ 2019.11.02
W杯優勝を遂げた南ア代表黒人初主将、シヤ・コリシ物語(ラグマガW杯展望号再録)

W杯優勝を遂げた南ア代表黒人初主将、シヤ・コリシ物語(ラグマガW杯展望号再録)

[ 竹中 清 ]

 公用語が11言語もある南アフリカで、コーサ語を話していた黒人のコリシはハイスクール入学当初、英語ができず言葉の壁に苦労したが、友だちが助けてくれた。コミュニケーション力をつけていき、ラグビーの才能も着実に伸ばし、18歳でプロへの扉を開けてウェスタン・プロヴィンスのアカデミーに入る。20歳のときにストーマーズでスーパーラグビーデビュー。22歳の誕生日を迎える前日にスプリングボックスで初キャップを獲得した。

 ストーマーズでは当初、ユーティリティープレーヤーと見られ、FW3列はどこでもプレーした。特にフランカーでの出場が多く、コリシのベストポジションは6番か7番か、ファンは議論した。だが、ブラインドサイドでは、サイズとフィジカルがやや物足りなかった。オープンサイドに集中させてもらえるようになり、豊富な運動量で背番号6を勝ち取った。南アでは、優秀なオープンサイドフランカーにその数字を与える。コリシは、伝統的なボールハンターというより、パワフルなボールキャリアーであり、しつこくハードタックルを繰り返す強いディフェンダーとして高く評価される。仲間がジャッカルで奮闘し、ボールを支配することはコリシに任されBKとリンクする。ビジョンが広く、パススキルも優れている。

 スプリングボックスの主将に選ばれてからしばらく、コリシは一選手としてパフォーマンスを落とした。とてつもない責任を背負い、プレッシャーがあったことを認める。
 だがワールドカップでは重圧に屈するつもりはない。ドウェイン・フェルミューレン、エベン・エツベスなど、周りにはリーダーシップスキルを持つ多くの仲間がいる。「助けが必要なときはいつでも、チームメイトを頼る」というコリシ。痛めていた膝も、もう不安はなく、フィールドでベストを尽くすのみだ。

 尊敬する偉大な故マンデラは、スポーツには「世界を変える力」、「刺激する力」、「人々を結びつける力」があると言った。
 貧困から、誇り高き南アラグビーの大将になったコリシは、「私は黒人の子どもたちだけでなく、あらゆる人種の人々を鼓舞したい。恩返しがしたい。すべての南ア人のためにプレーする。我々は想像以上に大きなものを代表している」と自覚する。

 2016年に白人の女性と結婚し、一男一女の父だ。コリシは2009年に母が亡くなったあと、孤児院や里親のもとで育ててもらっていた異父きょうだいの弟と妹を探し、法的手続きを経て養子にし、家族として一緒に暮らしている。
 コリシは自分の家族を持ちたいと常に思っていたという。それは、貧しく父親がいなかった子ども時代に根付いた最初の願望だ。
「私は彼らのヒーローになりたい」
 ワールドカップでコリシがウェブ・エリス・カップを掲げることがあれば、南アフリカだけでなく世界中の人々の胸を熱くするヒーローになるだろう。

※ この記事は、『ラグビーマガジン 特別編集 GO! JAPAN ワールドカップを見逃すな!』(ワールドカップ2019展望号)に掲載したものです。

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