コラム 2019.09.10
【大野均からのメッセージ/その1】やっぱり、勝ちたい。

【大野均からのメッセージ/その1】やっぱり、勝ちたい。

[ 中川文如 ]



 大野はチーム・フィジーの4番だった。二つのジャパンの間に、温度差、ざらついた雰囲気はなかったという。捨て石のチーム・オーストラリアは入念なオーストラリア対策を練り、仮想フィジーの練習台にもなってくれた。彼らは3-91と討ち死にする。「誰も言葉にはしなくても、みんな、間違いなく『彼ら(チーム・オーストラリア)のためにも』という覚悟でフィジー戦に臨んだ」
 リミッターは外れた。

 ジャパンの歴史で語り草、80分間を終えて6キロの体重減。「3、4キロ落ちることはあったけど、6キロは初めて」。暑さの中、4点差に追い上げ、フィジーをゴール前に釘づけにしながら攻めきれず、戦いきった末の31-35。「ここまでやって勝てなかったら、しょうがないかと。どこか、すがすがしかった」
 試合後は水ものどを通らなかった。ホテルの部屋で点滴を頼りに一夜を明かした。
 結局、4大会ぶりの勝利はつかめなかった。ただ、ジャパンは4大会ぶりに、負けなかった試合、を手にする。

 ウエールズに18-72と敗れ、カナダとの最終戦。7点差で迎えたラストプレーだった。途中出場のCTB平浩二がゴール右隅に飛び込み、大西が難しい角度からのゴールを決めた。12-12。右腕を突き上げる大西を包んだ歓喜の輪もまた、ジャパンの歴史を彩る一場面となる。
 先発し、すでにピッチを退いていた大野は泣いた。
「スタンドを見たら、リザーブに入れなかった熊谷(皇紀)が号泣している姿を見て、もらい泣きしちゃって」
 同い年、ポジション争いを繰り広げてきた2人の間だけに流れる空気と感情があった。

 その夜、記憶をなくすまで飲んだ。「おそらく熱く語り合ったんだけど、まったく覚えてないんです」。翌朝、ホテルの部屋に戻ると、ふと我に返った。メモ用紙に、こんな言葉を殴り書きしていた。
 やっぱり、勝ちたかった。
 やっぱり、悔しい。
 絶対、次のW杯にも行ってやる。
「カナダと引き分け、チーム全体に満足した感じがあって、自分もそうだった。でも、あの朝、ふと、それは違うんじゃないかと」

 そもそも、突貫工事で迎えたW杯だった。ニュージーランドのレジェンドWTBだったカーワンがヘッドコーチに就いて1年足らず。防御時の素早い出足が何とか意識づけされたくらいで、攻め手も試合運びもほとんど整理できてはいなかった。大畑をはじめ負傷者が相次いだことも大きく響いた。
 だから、逆に、「次」への期待は高まった。「世界のスーパースターが日本のヘッドコーチになってくれた。日本は弱い、W杯では勝てないというマインドを変えてくれた。お前ら、世界でも勝てるんだぞ、と。4年間、JK(カーワンの愛称)が鍛えてくれたら、次はもっといい結果を得られるんじゃないかって」
 そんな期待感も含めて「楽しい」W杯だった。

 そういう時代だった。
 ジャパンはカーワンと4年間を過ごし、カーワンが英雄と称されるNZに乗り込むことになる。大会を終えた時、また大野は泣くことになる。
 フランスで流した涙とは、全く異なる味の涙がほおをつたうことになる。

2007年大会はカナダに引き分けただけ。3敗し、勝利は手にできなかった Getty Images


【筆者プロフィール】
中川文如(なかがわ・ふみゆき)
朝日新聞記者。1975年生まれ。スクール☆ウォーズや雪の早明戦に憧れて高校でラグビー部に入ったが、あまりに下手すぎて大学では同好会へ。この7年間でBKすべてのポジションを経験した。朝日新聞入社後は2007年ワールドカップの現地取材などを経て、2018年、ほぼ10年ぶりにラグビー担当に復帰。現在はラグビー担当デスク。ツイッター(@nakagawafumi)、ウェブサイト(https://www.asahi.com/sports/rugby/worldcup/)で発信中。好きな選手は元アイルランド代表のCTBブライアン・オドリスコル。間合いで相手を外すプレーがたまらなかった。

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