【コラム】隠れた英雄になりうる人よ
しかし、湯原祐希はあくまでも「第3のフッカー」である。無論、見る人は見ていたし、なにより同僚の評価は揺るがなかったが、称賛のジャパンにあって静かな存在であったのは確かだ。なにより本人は、ひとりの思慮深いラグビー選手としてブライトンで、グロスターで、ミルトンキーズで、芝の上に立ち、かがみ、スクラムを制御したかっただろう。「チームとしてはそれでよかった」と述べては冷たい。でも、しかし、だが、「チームとしてはそれでよかった」とも思うのである。
よくスクラムを理解し、理解に基づき実践できて、レフェリーとのコミニュケーションを成立させ、ラインアウトのスロウはたいがいまっすぐ伸びて、フィールドの外では愉快なチームマンであるような個性が、負傷やらなにやら緊急事態が発生した際、ゲーム当日のブレザーやスーツとついにおさらばして、ジャージィをまとう。突然の昇格に焦るわけでなく、満を持す気負いもなく、自然体で実力を存分に発揮する。チームとしては悪くない。
たぶん、素晴らしい先発フッカーが「第3の男」には不向きという例は世界中にあるだろう。優れた「第3の男」が先発として光を放つ例もきっとある。湯原祐希である。
さあワールドカップ。ジャパンの最終メンバー発表の前なので、いわば希望を記したい。「隠れた英雄」となりうる人格をぜひ。ここまで主要テストマッチの出場機会にさして恵まれない者でも、フィールドの「外」でのリーダーシップを有する人間ならワールドカップの場に必要だ。それは「内」を託されたリーチマイケルの負担を軽くすることにもなる。ここという試合、たとえばサモアのような相手には「この人で」と出場機会を得るのが最良だろうが、仮に、4年前の湯原祐希の立場になっても、ラグビーと人間への洞察の深いリーダーが加われば力になる。