日本代表の木津悠輔は、「自分は崖っぷち」と日々思う。
23歳の木津悠輔は、緊張感を保つ。
今年初めて参加したラグビー日本代表の合宿を経て、国際大会のパシフィック・ネーションズカップ(PNC)でテストマッチ(代表戦)デビューを飾る。しかし、持ち場の右PRには大会不参加組を含め経験豊富なメンバーがいると認識。定位置争いへの思いを聞かれ、こう即答する。
「PNCのスコッドに選んでいただいて嬉しいことは嬉しいのですが、自分は国際経験も少ないですし、チャレンジする立場であるのは変わらない。PNCもただ出るだけではだめ。出て結果を残さなければいけない。自分は崖っぷちにいると思い、日々やっています」
大分県生まれ。剣道2段の腕前。ラグビーに興味を持ったのは、高校受験の時期だった。同じ中学から由布高へ進んでいた先輩から同高ラグビー部の存在を聞き、門を叩いた。同じ県では大分舞鶴高が全国大会の常連。由布高は県大会で白星を挙げるのにも難儀していて、木津は当初、高校でラグビーを辞めるつもりだった。
気持ちが変わったのは、自分より1学年上のチームが引退した時。翌年の今頃には自分が同じようになると思うと、寂しくなった。持ち前の資質が買われ、関西の強豪である天理大へ入学。ポジションをもともとのNO8からPRに変えると、若手育成グループのジュニア・ジャパンに入るなど評価された。2018年入社のトヨタ自動車では、身長178センチ、体重113キロのよく動く頑丈なルーキーとして躍動する。
そして、昨季オフにあたる2月2日。岐阜メモリアルセンター長良川競技場での「日仏ラグビーチャリティマッチ」へ「トップリーグ選抜」の一員として出て、フランスのクレルモン・オーヴェルニュにタックルまたタックル。日本代表候補の集まるラグビーワールドカップトレーニングスコッド、ウルフパックを経て、いまの立場を獲得している。
「ハードな宮崎合宿をやり遂げたことは自信になりました。それと去年のトップリーグに出ていた自分に比べ、試合に対する準備のレベルがひとつ上がった。長年ジャパンにいる方たちは映像を細かく見るなどして情報収集をしていた。そういう姿を見て、自分もやらなくてはと思います」
話をした8月1日は、トンガ代表を41-7で制したPNC第2節の2日前だった。試合会場は大阪・東大阪市花園ラグビー場。木津は、出たことのない全国高校ラグビー大会の会場で日本代表としてプレーすることとなる。
いま目指すのは、秋のワールドカップ日本大会への出場だ。
4年前の同イングランド大会時は天理大2年で、「正直、そこまで日本代表が合宿をしているといった情報は見ていなかった」。日本代表が南アフリカ代表を破った歴史的一戦は日本時間の深夜に生中継されていて、木津はリアルタイムでは観ていない。翌日の朝練習に備えて眠りについていたのだ。
「申し訳ないんですけど……。そして、朝にツイッターなどの速報を見て驚きました。いまも思い出しますし」
続くスコットランド代表戦の前日は、天理大の小松節夫監督が朝練習を中止にしたのだと木津は笑う。日本代表が勝てば人の心が変わるのを、皮膚感覚で知る。
日本代表活動中、よく宿の同部屋に入ったのは三浦昌吾。トヨタ自動車の同期だ。2人ともジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチに「(プレー中の)賢さ」について厳しく指摘されるようだが、木津はめげずに戦うという。
「2人は思うところもたくさんありますし、今回こうやって一緒にジャパンで活動できるのを嬉しく感じます。踏ん張って頑張ろうと2人で励まし合っています」
チームは8月10日、フィジーでアメリカ代表とPNC第3戦をおこなう。三浦が外れるなどして31名から26名に絞られたこの遠征にも、木津は帯同する。