コラム 2019.03.22
【ラグリパWest】勉強とラグビーの両立で選抜出場。 長崎県立長崎北陽台高校

【ラグリパWest】勉強とラグビーの両立で選抜出場。 長崎県立長崎北陽台高校

[ 鎮 勝也 ]


 少人数にも関わらず、北陽台は昨年の17歳以下日本代表に2人を送り込んだ。
 岡崎はセンターで選ばれる。縦にも横にも動ける。ロックの亀井茜風(せんふう)は193センチと国際レベルのサイズ。フルバックの山口泰輝はその選には漏れたが、スピードあふれる走りはトライを予感させる。

 放課後の少ない練習量を補うため、朝練習がある。7時から1時間程度行う。
 ウエイトトレで体を作り、スクラムやラインアウトなどをこなしていく。

 品川を補佐するのはコーチの浦敏明だ。
 開校2年目の1980年(昭和55)に保健・体育教員として赴任。ラグビー部を作った。以来、教頭時代の3年を含め25年間、北陽台に携わる。定年退職し、古希を2つ超えた今もフォワード強化の責任を負っている。
「指導の基本は根気、それだけですよ」
 温和な笑みを浮かべる。朝練習では孫のような部員たちを愛車プリウスで最寄りのJR高田(こうだ)駅から送り上げる。

 長崎県勢はこれまで2回、全国大会決勝に進出している。
 最初は49回大会(1970年)の諫早農。目黒(現目黒学院)に16-20と惜敗した。
 次は浦が指揮した北陽台だった。74回大会(1994年度)では、連覇する相模台工(現神奈川総合産業)に12-27と及ばなかったものの、全国に強豪として認知される。

 浦はフォワードの勲章、いわゆる「餃子耳」を持っている。右がつぶれている。
 地元の佐世保工から日本体育大に進み、フッカーなどをこなした。大学4年時には副将もつとめる。卒業の翌年度(1969年)、チームは第6回大学選手権で初優勝を遂げた。

 品川は浦から数えて4代目の監督だ。
 今年44歳。166センチと小柄ながら、抜群の運動神経で、スタンドオフやセンターをこなした。北陽台から恩師と同じ日本体育大に進み、東芝府中(現東芝)に入社する。

 日本選手権3連覇の最後となる1998年度に社会人入り。以後、8季を過ごした。2004年度にはトップリーグ、マイクロソフトカップ、日本選手権の3冠を達成している。
「高いレベルでやらせてもらって、経験値をずい分上げてもらえました」

 北陽台の監督になってこの4月から11年目に入る。その間、チームを6回、花園に導いた。北陽台の出場回数は17。諫早農の15を上回り県内トップだ。その三分の一近くに品川は関わっている。

 浦の品川の評価は高い。
「教え子の中でもトップレベルです。現役の時は天才肌でしたが、ボールを動かすラグビーをよく教え込んでくれています」
 自身の感覚をわかりやすく言語化できる能力。その希少性を浦は知っている。

 選抜大会は2年連続6回目の出場になる。8つある予選グループのDに入った。東海大大阪仰星、日本航空石川、太田の3校とリーグ戦を戦う。1位になれば準々決勝に進む。北陽台の選抜8強入りはまだない。

 岡崎は手応えを感じている。
「全国大会ではフィジカルの差を感じました。だから、それからウエイトトレの時は流さず、集中してやるようになりました」
 ベンチプレスの最高は85キロから100キロ近くまで数値を上げた。

 横断幕は「鉄になれ」。少数精鋭の部隊は折れない準備を積んできた。群青色のジャージーを熊谷の緑の芝生の上で輝かせたい。

校門の横にあるラグビー石碑。左は74回全国大会準優勝を記念したもの

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