【ラグビー登山家・長澤奏喜の冒険】天国からNZと日本を繋ぐ若きラガーマン。
しかし、悲劇は起きた。
カンタベリー大学への進学も決まり、ますますNZでの活躍が期待されている最中、リンパ腫が判明したのだ。日本に戻って治療に専念することも考えたが、現地の医師がストップ。想像以上の早さでガンは体内を蝕み、2週間後、帝道さんは帰らぬ人となった。
NZの葬儀では150名もの人たちが帝道さんの死を悲しみ、悼んだ。葬儀の中で帝道さんの棺から離れない一人のNZ人がいた。それはライバルチームとの試合中に喧嘩となり、取っ組み合いをした相手だった。ノーサイド後、帝道さんと意気投合し、それからは親交を深めていった。NZへ挑戦した一人の若者は、ラグビーを介して、現地と深く溶け込み、多くの人間が信頼され、愛されいた。
帝道さんの故郷、愛知県にあるつぶて浦には帝道さんの石碑が建てられている。眼下には太平洋が広がり、その先はニュージーランドへ繋がっている。
「帝道は誰よりも2019年のラグビーW杯を楽しみにしていた。現地のNZの友人を引き連れて、一緒に観戦しようと計画を練っていた。帝道は応援できないが、息子の分も日本代表とオールブラックスを応援したい」と父親である正人さん。
帝道さんの背中を見て、日本航空石川高校のチームメートの中には、帝道さんと同じオールドボーイでプレーを検討している者もいるという。
NZの地で夢を抱いた一人の若き青年のパイオニア精神は、確実に同年代の若者たちへ引き繋がれている。
年齢こそ僕の方が上だが、帝道さんの遺志の影響を強く受けている一人である。というのも、今夏のNZ遠征中、僕は帝道さんがかつて住んでいたご自宅を利用させてもらっていたからだ。
NZの最高峰、マウントクック(3,724m)は僕が手がけている#World Try Projectの中で最高難易度の山である。登山をはじめて一年ちょっとの人間が、マウントクックに登攀(とうはん)できたのは「奇跡」と現地のガイドは言ってくれた。そして、オールブラックスの旗と共に山頂にトライした写真を見せると笑いを超えて、「あんな難しい山を…!?」と感動さえしてくれる。
この話は現地でもニュースになり、熱狂的なラグビーファンからエールがあった。NZのはるか彼方のアメリカのラグビースクールから、こんなコメントも頂いた。
「米国コロラド州の6歳から14歳までのほぼ100人の男の子と女の子があなたを応援しています!」
世界屈指のクライマーたちしか挑むことが許されないマウント・クック。その多くがマウントクックの垂直な壁に拒まれる中、経験不足が火を見るよりも明らかであった僕がマウント・クックにあたたかく迎え入れられたのは、天国から帝道さんが見守ってくれたからかもしれない。
【筆者紹介】長澤奏喜(ながさわ・そうき)
ラグビー登山家。過去8大会のラグビーワールドカップに出場した25の国/地域にある、それぞれの最高峰がターゲットだ。日本代表のジャージーを身にまとい、楕円球を抱えて山に登る。ラグビーボールを頂上にグラウンディングしてまわっている。1984年10月12日生まれ。愛知・明和高校→慶大(BYBクラブ)。IT関係企業で8年働く。青年海外協力隊でジンバブエに2年滞在したこともある。ポジションはPR/LO。「山登りにも、独自のルールを決めています。途中でボールを落としたらノックオン。10㍍下がり、スクラムの姿勢をとった後、また歩き出す」