コラム 2019.01.26
【ラグリパWest】関西のチームが勝ってくれることがうれしい。 関西ラグビー協会 坂田好弘会長インタビュー

【ラグリパWest】関西のチームが勝ってくれることがうれしい。 関西ラグビー協会 坂田好弘会長インタビュー

2012年に会長に就任して以来、特に大学の強化を進めてきました。

 私が会長になった時、関西協会の主な収入源は関西大学Aリーグの入場料でした。
 ということは、このリーグを強くして、観客動員につなげないと協会の運営は成り立たちません。お客さんが増えれば、チケットが売れ、興行収入がアップします。そうすれば、強化にお金が回せる。
 私の就任当初は関西の大学は総じて関東には勝てなかった。ですから、最優先したのは大学の力を上げることでした。

 ただ、強化をするといっても、最初はやはりお金が必要です。先立つものがないと動けません。私はスポンサーを集めました。今年度は15社近くに賛同してもらえ、3000万円くらいは集まりました(※7)。
 そのお金を中心にして、私自身が現役時代の留学などで縁の深いニュージーランド(NZ)と交流を持つようにしました。2017年の春には関西学生代表で遠征をし、昨年2018年にはニュージーランド学生クラブ代表(NZU)と試合をしました(※8)
 今年の3月末には関西学生代表を再び組織して、2回目となるNZ遠征を行う予定です。これまでの経緯から現地での滞在費は向こうがもってくれます。といっても、エア・チケットやジャージーを作ったりするお金はこちらもちになります。

 今考えているのは、最低でも2年に1回はこういう遠征を続けたいということ。関西の大学に入って、選抜メンバーになればNZに行ける、ということを高校生たちが関西に留まってくれるひとつの魅力にしたいのです。
 そうして、関西学生の力がついてくれば、弱いという理由でなくなった「東西対抗」も復活させていきたいですね(※9)。

※7
大口のスポンサーになったムロオ(大手チルド物流)の山下俊夫会長は近鉄、フルタイムシステム(宅配ボックス)の原幸一郎代表取締役は同志社大における坂田会長のチームメイトである。

※8
5月3日、京都・西京極で関西学生代表は33-47で敗北した。日本の大学クラブと違い、NZでは学部学生だけではなく、社会人であっても会費を払い、会則に従えばそのクラブでプレーできる。

※9
関東と関西の学生代表が主にその中間地点である愛知・瑞穂ラグビー場で行った対抗戦。1月末に行われ、三大学対抗戦のあった早慶明以外のトップ選手にとってはシーズン最後の試合になった。2009年の63回(東軍102-14西軍)を最後に中断されている。

■これから協会運営のカギは。

 大学を中心に強化がなされれば、次の段階は、その強さを維持するために協会が所有する専用球場を持つことに移ります。
 それがあれば、他競技とグラウンドの取り合いをすることもないですし、心おきなくスケジュールが組めます。
 関西のアメリカンフットボールは拠点を持っています(※10)。たいしたものですね。

 ラグビーには花園ラグビー場がありますが、今は東大阪市の持ち物です。優先的に使わせてはくれますが、当然ながら使用料がかかってくる。協会で専用球場を持つことができれば、その経済的負担も圧縮できます。
 もちろん、これは大変な計画です。スタジアムをいちから作るとなれば土地買収や建設など莫大な費用がかかります。アクセスの問題もあります。秩父宮ラグビー場は都心の青山にあるからこそ人が集まってくる。山奥では当座の費用は抑えられても。完成してからの観客動員に大きな差が出てしまいます。
 スタジアムというのは、そう簡単にできるものではありません。しかし、関西のラグビー発展のためにも、少しずつでも前進していけたらと考えています。

 今はチャンスが来ています。
 大学が勝ち始めました。私が思い描いた第一段階になりつつあります。
 天理大がこの強さを維持してくれれば、その戦いを見ようと人が集まります。リーグに活気が出てくる。同時に「打倒天理」に向け、京都産業大、立命館大、同志社大などが磨き合いに入ります。そうなれば、強化と同時に観客動員にもつながり、先ほど話したように、経済的な部分も潤ってくる。それが続いて行く運営をしていかなければなりません。

※10
 アメリカンフットボールは神戸市にある神戸市王子スタジアムと大阪の吹田市にあるエキスポフラッシュフィールドを2大拠点として春秋の大学や社会人のリーグ戦を運営している。

(取材/構成=村上晃一、鎮勝也)

★坂田好弘(さかた・よしひろ)
 1942年(昭和17)9月26日生まれ。76歳。京都市出身。洛北高でラグビーを始める。ポジションはWTB。同志社大から近鉄に進む。日本代表キャップは16。1968年、オールブラックスの下に位置するジュニアを23-19と現地で破った伝説の一戦にも出場。4トライを記録した。翌1969年にはニュージーランドに半年間留学。カンタベリー州、学生クラブ、バーバリアンズなどに選出される。NZ出身のウエイン・スミス(神戸製鋼総監督)、ロビー・ディーンズ(パナソニック監督)らとの親交も深い。現役時代の愛称は「世界のサカタ」や「空飛ぶWTB」。1977年、大阪体育大の監督に就任する。2012年にアジア人初となる「ラグビー殿堂」入り。同年、関西ラグビー協会会長就任。そして、70歳になるこのシーズンを最後に監督退任。2019年4月から会長として8年目に入る。日本協会の副会長でもある。

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