コラム 2018.09.04

【野村周平コラム】山中湖からジャカルタまで

【野村周平コラム】山中湖からジャカルタまで
8月、釜石鵜住居復興スタジアムの夕日(撮影:野村周平)
■実際に体を動かしながら、プレーを解説するエディーさん。慶大Cチームの選手にも即席の講習会を開いた。
この夏は、色々な場所で色々なラグビーを見させてもらった。
菅平。入道雲の夏空のもと、引き締まった試合を展開した帝京大と明大のライバル対決。負けた悔しさをにじませつつ、Bチームの試合を真剣に見つめる帝京の選手たちの面構えは、ここ十数年でチームが築き上げてきた蓄積の重みを感じさせた。
府中。東芝府中事業所で行われたサントリーとのダービーマッチ。地元の子どもが芝ではしゃぎ、仕事帰りのサントリーOBが後輩たちの躍動に目を細める。グラウンドにできた色とりどりの人垣。「ラグビーのまち」には、ラグビーが生活の一場面に溶け込んでいるように映った。
釜石。小さな街に生きる人々の思いと、かけがえのない記憶が込められた鵜住居復興スタジアム。こけら落としの前日、稜線に沈む西日が巨大なポールの影を緑の芝の上に落としていた。どんなスタジアムよりも郷愁を感じさせる、絵はがきのような景色にしばし動けなかった。
ジャカルタ。アジア大会の7人制は人工芝のピッチだった。1年前に競技を始めたという地元インドネシア女子代表の21歳、インドゥリ・カテリナ・ラフラフが1次リーグのタイ戦でその日唯一のトライを挙げると、会場に白と赤の国旗が揺れ、お祭り騒ぎになった。まだまだアジア各国の実力差は大きい。けれど、少しずつ普及の種はまかれている。
     ◇
中央自動車道から東富士五湖道をしばらく走っていると、心臓の鼓動が早くなった。見慣れた風景が眼前に広がる。およそ10年ぶりの山中湖。学生時代に通い続けた夏合宿の記憶が、体の奥底に刻まれているのだろう。いくら年を重ねても、山中湖は自分にとって、思わず身震いしてしまう場所なのだ。
8月12日、慶大の山中山荘グラウンドで慶大と東大の定期戦を見た。激しい雷雨に見舞われ、後半は中止となったが、その後のアフターマッチファンクションでいい光景に出会った。
慶大の指導に訪れていたインドランド代表監督のエディー・ジョーンズさんが日本語であいさつする。「東大は頭がいいでしょ。だから、もっとハートを示して。練習からハートを出して」。東大の選手たちが小さくうなずいた。
ファンクションのあいさつが一通り終わると、副将の宮原健(4年、済々黌)がノートを持って、エディーさんの元に駆け寄った。接点の攻防やタックルの要点を聞きたかった。
「低さとテンポが大切だ。南アフリカ戦の日本もそうだったけど、タックルやブレークダウンに入る前に一度こうやって姿勢を落とす。ディップ(沈めるの意)するんだ」
実際に体を動かしながら、プレーを解説するエディーさん。東大戦に出た慶大のCチームの選手にも即席の講習会を開いた。彼らは、接点ができた直後の2人目の選手が「100%のスピード」でプレーすることの大切さを再確認した。大学生の真摯なまなざしに応えるように、知将の言葉も熱を帯びていった。
昨季は関東対抗戦Bグループで2勝5敗の5位。決して戦力が恵まれているとはいえない東大を引っ張る宮原はうれしそうだ。「日本でラグビーをしている人間なら誰もがエディーさんを尊敬していると思う。とにかく、何かを吸収したかった。今後のチームの糧になります」
世界の最前線で戦うエディーさんとの時間は、彼らの何かを変えるきっかけになったかもしれない。
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さまざまな場所に足を運び、そこでしか吸えない空気を吸う。すると、今まで気付かなかった風景やふとしたしぐさに心を揺さぶれることがある。記事で伝えきれない現地の空気感の中に、プレーやゲームとはまた違う、ラグビーの魅力が詰まっていることをこの夏、改めて気付かされた。
全国12の試合会場、52の公認キャンプ地で開催される来年のワールドカップ日本大会。いくつの街を訪れることができるかは分からないけれど、大会を通してラグビーの新たな価値観、いや、そんなに大それたものでなくていいから、小さな幸せを一つでも多く発見できることを今から楽しみにしている。
【筆者プロフィール】
野村周平(のむら・しゅうへい)
1980年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞入社。大阪スポーツ部、岡山総局、大阪スポーツ部、東京スポーツ部、東京社会部を経て、2018年1月より東京スポーツ部。ラグビーワールドカップ2011年大会、2015年大会、そして2016年リオ・オリンピックなどを取材。自身は中1時にラグビーを始め大学までプレー。ポジションはFL。

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