コラム 2017.11.09

障がい者とともに生きる。 小寺貴(こでら・たかし) 新生会作業所・管理者

障がい者とともに生きる。 小寺貴(こでら・たかし) 新生会作業所・管理者
作業の芝刈りが終わり笑顔を見せる佐藤彰彦さん(左)、
新生会作業所・管理者の小寺貴さん(中)、
広川雄一さん=兵庫県西宮市にある報徳学園弓道場で
 小寺貴は兵庫県西宮市にある新生会作業所の管理者である。
 46歳の元ラグビーマンは社会福祉主事として、知的(先天的)、精神(後天的)、身体に障がいを持つ約50人の就労継続支援をしている。
「この人たちは僕にとっての太陽です。できなかったことが、訓練をしてできるようになる。そこにやりがいを感じるのです」
 11月6日は快晴だった。小寺は51歳の広川雄一と33歳の佐藤彰彦をワゴン車に乗せる。行先は同じ市内にある報徳学園。弓道場に植えた芝生のケアをするためだ。
 身体障がいの広川は、不自由な手でハンディーの集塵機(ブロワバキューム)を持つ。強風を起こし、落ち葉を端に寄せる。
 知的障がい害がある佐藤は手押し式、小寺は機械の芝刈り機を使う。
 小寺は左足を引きずる。楕円球を追いかけた後遺症が時々出る。
 音が大きいため、小寺はよい仕事には親指と人差し指でOKマークを作り、握手をする。
「佐藤君は気をつけてゴミなんかも取ってくれます。仕事が細かくて助かります」
 3人の共同作業で、約300平方メートルの場所は1時間もかからず緑が輝いた。
「きれいになるでしょう? 夏、散水なんかすると涼しくなって癒されます」
 小寺は笑顔を浮かべた。
 広川も表情が緩む。中学入学の春休みに交通事故に遭い、脳挫傷を負った。
「作業は楽しいです。自然に関わることができるので」
 小寺のことを評する。
「優しいです。怒らないし」
 作業所が請け負う芝生管理は、このラグビー名門校を含め3か所。隣の芦屋市、神戸市にある保育園も受け持つ。
 小寺は作業者への長所を口にする。
「言葉でうまく説明ができず、ストレスがたまって、暴れたりすることがある人でも、ここに来ればそれがなくなります。気持ちをコントロールできるようになります」
 印刷所から始まった作業所は、封筒詰めや住所貼りなどが多い。部屋内の仕事は、太陽を浴びず、精神的な行き詰まりを呼んだりもする。この外出は、その抑止になる。
 報徳学園の仕事はラグビーつながりで小寺が取ってきた。学校に話を通した監督の西條裕朗は振り返る。
「最初、小寺は偉いなあ、と思いました。そういう人たちのお世話をしているということに関してね。だから、協力できることがあったらしたげないとアカンと。それで、事務に言うたらOKが出ました。お金も安かったからね。ウチにとってもよかったです」
 芝植えやメンテナンスなど3か所合わせて年間約150万円を徴収する。
 小寺は言う。
「ここは作業施設なので、外に出た場合は仕事としてお金にせなあかんのです」
 小寺は部屋外での賃金獲得法として、芝生管理に思い至る。
 鳥取県まで何度も往復して、安価が魅力で、芝と雑草を混生させる「鳥取方式」を学んだ。
 3か所ともにそのやり方だ。
 目標に向かって粘り強く進むのは、ラグビーから学んだ。
 兵庫県立御影(みかげ)高校から京都産業大学に進学。3時間のスクラム練習を経験する。その甲斐あって、4年時には、第30回大学選手権(1993年度)で早稲田大学を22−21で破り、4強入りを味わった。
 PRとして180センチ、100キロの体に監督の大西健も期待をかけた。
 ただ、ケガが多かった。
「ヒザを5回くらい手術しました。最後は頭蓋骨を骨折して、ラグビーを諦めました。大西先生が持ってきて下さった社会人チームへの就職の話もお断りしました。可愛がっていただいたのに、期待にお応えできず、今でも先生には申し訳ない気持ちでいっぱいです」
 卒業後、神戸市内の法人支援センターに入る。
「おじさんが知的障がいを持っていて、母が施設の看護師として働いていました。だから福祉が身近にありました」
 15年以上働き、2012年に新生会に移る。今年6年目を迎えた。
 前任時代に生まれた長男・晴大(はるとも)は関西学院大学の1年生になった。ラグビーをしている。183センチ、112キロと父以上に大きなPRである。
「今はラグビーとは、ほとんどつながっていないけど、助けてもらっているのは間違いありません」
 休日に見る息子のプレーに力をもらう。西條には仕事を作ってもらった。大西から受けた恩義は今でも忘れない。
 小寺が、障がい者とともに生きるベースにはラグビーがある。
(文:鎮 勝也)

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